今日は再びへブロンの撮影に出かけてきた。ここは何度も書いたけれど、極右の入植者がイスラエル軍に守られながらジワジワとパレスチナ人の住む地域を侵食し続けているピリピリかんの漂う町。アラブの色が濃く残る旧市街も今ではイスラエル軍の管轄下におかれているので、人々が日常を営む中にイスラエル軍のパトロールがあり、監視カメラがあり、パレスチナ人は通れなくなってしまった道があり、毎日のハラスメントに耐えられなくなって無人となってしまった住居跡がある。以前と比べて旧市街の多くの店は被害を被って店を閉めてしまった。他に店を構える余裕のない人は、危険を承知で必死で踏ん張っている。今日はゆっくりとこの旧市街だけを時間をかけて撮影して歩いた。

パレスチナ自治区は中国製の製品が溢れているので、道を歩くと日本人か?と聞かれることよりは中国人か?と聞かれることのほうが多い。もっとも日本人だと答えると、この場所には観光客は限りなく少ないので今度は必ずジャイカで働いているのか?と聞かれる。フォトグラファーだと答えると、そうかそうかこの現実をしっかりと写して帰ってくれと。

先週訪ねた時に出会った人たちが、みんな笑顔で迎えてくれる。たくさんお茶をご馳走になる。今日はパレスチナ人の女性の自立を助ける活動の一環で、伝統的なパレスチナの刺繍の施されたクラフトを売っているお店でいくつかのポーチを買ってきた。こういうものを、日本で紹介できればいいなあと思った。そして、少しでも女性たちが自分の人生を自分で設計していける手助けになるといいなあと。差し当たり、ワタシに出来るのは、出来るだけこの商品を買って帰ること。安くはないので限りはあるけれど。

話は遡り昨日のことになるが、分離壁にほぼ四方を囲まれた町カルキリヤに行ってきた。町全体がイスラエルとの境界であるため壁で囲まれた町。この閉塞感。壁のすぐ手前にはずっとオリーブの畑が広がっていた。この町でも、この胸のむかつく壁を造る為に多くの農家が土地を失い、多くの木が切り倒されたのだろう。この問題は、西岸全体を取り巻く問題。どこに行っても分離壁と検問所。今日も帰りに検問所でバスの中を検問するため全乗客が降ろされた。ジリジリと照りつける太陽の下で、パレスチナ人の乗客はただじっと黙って待っている。ワタシも一緒に待っている。兵士があごをしゃくって「乗ってよし」と言う。乗り込む際に、パレスチナ人のバスの運転手に「申し訳ない」と言われた。この状況に何の非もないパレスチナ人の運転手に!「あなたが謝る必要はまったくないよ」そう答えるのが精一杯だった。この不条理が日常。

エルサレムに戻ってきて、住居を無理やり壊された人々を訪ねてきた。毎日この横をバスで通りがかるのだが、「民族浄化をやめてくれ!」と書かれたノボリがいつも気になっていたので、途中でバスを降りて思い切って訪ねてみた。去年の11月に突然「ユダヤ人の入植地をここに造る事になったから」と言う理由で長年住んでいた家屋を壊されたとのこと。今東エルサレムでこういう話はたくさんある。何とかエルサレムからパレスチナ人を追い出そうと、あの手この手でパレスチナ人の住居を壊している。「何とか一人でも多くの人にこのことを伝えてほしい。ワタシたちは家畜じゃない、こんな風に追い立てられてどこへ行けと?どうかイスラエル政府にこんな酷いことを止めさせるように、一人でも多くの人に力を貸してほしい」胸に迫る訴えだった。彼らはほとんどが1948年の戦争によって難民となりエルサレムに逃れてきて、ずっとエルサレムで暮らしてきた人。彼らは家を壊されて再び難民となった。

日常に笑顔はたくさんある。笑顔だけを見ていたいけれど、ここには悲しみもたくさんある。たくさんありすぎて、段々聞いているこちらの心が麻痺してきそうなくらい。ひとつでも多くのことを知りたい。少しでも深く知りたい。今回の滞在で出来ることは限られているけれど、ベストは尽くしたい。