毎日西岸を練り歩いている。ひとつでも多くのことを知りたいから、一人でも多くの人の声を聞きたいから。昨日は先日も少し書いたビリン村の週に一度の、分離壁への抗議デモに参加してきた。

ビリン村は、西岸の主要都市ラマッラーから西へ16キロほどの場所に位置する小さな村。日本人監督による「ビリン 闘いの村」というドキュメンタリーも上映されたので、日本でもこの村の名前を耳にしたことがある人もいるかも。この村は人口1,800人ほどの村で、ほかの西岸の村々と同じく農業で生計を立てている村。ある日、この村の隣にイスラエルの入植地の建設が始まった。このこと自体国際法に違反しているのだが、何十年もこれを繰り返してきたイスラエル政府の蛮行を、未だにワタシたちは止めることが出来ないでいる。この入植地を守るために、ビリン村の中に分離壁が造られることになった。こうして村人の農地は補償もなく接収され、村人は暮らしていくすべを失い、貧困に襲われている。

しかし、この村の人たちは屈しなかった。この問題を組織的に世に訴えていった。村の闘いに連帯を示すイスラエルのNGOやIMSといった国際的な活動家たちと連帯し、メディアも大きく取り上げた。そして、裁判を起こし、イスラエル政府を裁判で負かし、毎週抗議のデモを続けてきた。しかし、毎週のように怪我人が出て(ゴム弾、ガス弾、サウンドボムにより頭を撃たれたり、足を撃たれたりして不随になったり、失明したり)犠牲者が続出している。裁判で勝ったのに、村人は自分の土地を取り戻せず、自分の農地へ行くことも出来ず、日々イスラエル軍によって大切なオリーブの木を焼かれている。そんな中で、決して石ひとつも投げずに、自分の言葉だけで闘ってきた村の若者バーセムがデモの途中に射撃され、殺された。

バーセムの遺志を無駄にすまいと、より一層村人たちは団結して抗議の声を上げ続けている。危険だと分かってはいたけれど、どうしてもこの村のデモを撮影したかった。昨日ようやくそれが叶った。

現在の状況を英語とアラビア語で説明する集会の後、村人たちのデモが始まった。イスラエル軍が狙撃の準備をして待ち構えている分離壁建設用のフェンスへ声を上げながら歩いていく。最前線では、パレスチナの旗を振ってフェンスを引き倒そうと頑張る人たちの姿が。鶏が先か卵が先か…と同じように、やがて投石とガス弾、サウンドボムの応酬が始まった。実弾ではないとは言え、怪我人は毎週のように続出し、死亡者まで出ている最前線、さすがに怖かったけれど、先週仲良くなった村人のカメラマンHとM(彼らはカメラとビデオで毎週様子を記録している)と一緒に前線で撮影を続ける。やがてガス弾が雨アラレのように降り注いできて、ガスマスク(百戦錬磨のジャーナリストは前線でガスマスクを被って撮影している)のないワタシとMは涙と嘔吐と息苦しさとでのたうちまわる。少し後方に下がり、救急隊にガスを中和するアルコール綿を貰いながら、みんなでそれを分け合いながら、涙と鼻水だらけの顔でふっと一瞬目を見合わせて笑いあう。「さあ、頑張って戻ろうか!」どちらからともなく誘い合って前線へ戻って撮影やデモを続ける。最悪にシビアな状況の中で、同じ苦しみを味わいながらふっと生まれる心の絆と連帯感、これはやっぱり現場に行かないと、一緒に闘わないと絶対に得られないもの。前回の村への訪問の際に案内してくれ、仲良くなったHとM。Mのお兄さんが頭を狙撃で割られて、それでも後遺症もあまり残らず元気になったという話を聞いて、実際にお兄さんに会って「よかったねえ」と思わず日本語で言ったその言葉を二人はすっかり気に入って、ガスを浴びながら泣きながらもまだ元気で頑張るお互いの姿に「ヨカッタネエ!」を連発してワタシを和ませようとしてくれる彼ら。多分、この不正を伝えたい、記録したいと願う気持ちはお互いに共通するもの。一緒にカメラを抱えながら、言葉では表せない絆を感じる。

幸いにも、深刻な怪我人は一人も出ずに終了。本当に得がたいものを得た一日だった。シビアな状況の中でふっと微笑む人間の強さ、彼らの強さ、それに出会えたことは、自分の中ですごく大きなものになった。彼らを追い続けたい。、もう決して遠い地の他人事ではない。一日も早く村に平和が戻ることを、不法な占拠が終わることを祈りつつ、その闘いにこれからも関わっていけるといいなと強く想った。

昨日の様子が早速公式HPにアップされています。
http://www.youtube.com/watch?v=dy6_mATosCU&feature=player_embedded