

魚市場のある鍬ヶ崎も、5月にはまだ瓦礫の山、7月には瓦礫の何割かが解体され、この9月にはほとんどの瓦礫が撤去されて更地になっていた。その一方で、市場は再開し、水揚げが毎朝おこなわれ、問屋、加工会社それぞれがプレハブの事務所をつくり、工場を直し、営みを始めていた。
更地になった土地を、ワタシは頻繁にあてもなく自転車で巡る。眠れない朝のお決まりのサイクリングコース。土台だけが残った家のあとにはひまわりやコスモスが咲いていた。雑草も伸びていて、一見、ここが被災地だと知らなければ、のどかな光景にも見えかねない。更地の前も瓦礫の前の光景も知らないワタシには、かつての鍬ヶ崎を思い浮かべることができない。
鍬ヶ崎は、典型的な漁師町だったそうだ。海沿いの僅かな平地に間口の狭い家がひしめき合い、漁師さん、加工工場で働くひとが多く暮らしていたそうだ。そして、それらの人々の暮らしを支えるため、お店の数も多く、賑わいのある町だったと、多くの方々から伺った。
「かつての町の賑わいを取り戻すには、まずは商店が営業を再開し、ひとを町に戻さなければ…」と、このひとけの減った更地のど真ん中で、プレハブの仮設店舗を建てて、営業を再開していらっしゃる酒屋さんに出会った。
お名前はカワベさん。鍬ヶ崎の銘酒千両男山の菱屋酒造の工場の目の前で酒店を営んでいらっしゃったが、店舗、自宅ともに被災、現在は仮設住宅で暮らしながらの営業再開だ。
住宅と違って、商店や会社が被災しても、義援金など公的な補償は全くない。多くの商店主さんが、借金に借金を重ねて営業を再開するか、それを断念するかの厳しい選択を迫られている。先が見えない、この場所にひとが再び戻ってくるのかも分からない場所での営業再開は、いろんな意味で、大変な決断だったに違いない。
先の見えないなかで、必死に地域の再生を考えていらっしゃる、多くの方々がいらっしゃることを、この9月の訪問では実感した。
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