世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

カテゴリ: アフガニスタンの街中

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ジャーナリストの誘拐事件で、また悪くなりそうなアフガニスタンのイメージ。知らないってことは、一番恐ろしいこと。そもそも、滅多に大手マスコミからアフガニスタンのニュースが伝わってくることはないし、伝わってくるときは「誘拐」「テロ」「爆撃」「戦争」のときだけなのだから、普通に生きている普通の人たちが、アフガニスタンを遠く感じて、「怖いところだ」と感じてしまうのも無理はない。

パレスチナに行くときも、アフガニスタンに関わり続けるときも「危なくないですか?」と常に言われる。でも「危ない」ってなんなんだろう?とワタシはいつも答えに困ってしまう。日本にいても、危ない目に遭う時は遭うし、それはアフガンだろうがパレスチナだろうが同じことだとしか、ワタシには言いようがない。

「自己責任」?、それは現地へ向かう人たちが皆、一番自分自身で意識して、自分の安全のために最大限努力している。他人に言われるまでもない。でも、「責任」を自分で取ることを恐れていたら、何も出来やしない。

地下鉄サリン事件が起きたからと言って、日本人みんながテロリストなのだろうか?凶悪な誘拐や殺人事件がどこかで起きたとして、日本人みんなが凶悪な人だろうか?そんな訳ないよって笑われるだろう。じゃあ、アフガニスタンも、アフガニスタン人もそれと同じことだって、気づくのは簡単だ。

常岡さんが無事でいらっしゃることを願いつつ、さあ、ワタシも行ってきます。どこへ?それは帰ってきてからのお楽しみ。

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最近、めっきりニュースも流れてこなくなったアフガニスタン、それって良くも悪くも世間の関心がアフガニスタンから他に移っていることの現れ。大きな事件や紛争も少ないのか、そういう意味では悪い話じゃないんだけど、自分も含めて、世間の気持ちの移ろいやすさ、関心の移ろいやすさ、マスコミの垂れ流す情報によって左右されることの危うさを意味しているとも言える。

先日の会議で、アフガニスタンの山の子どもたちは元気に三カ月にも及ぶ、長い冬休みを迎えたと報告があった。誰が進級出来ていて、誰が留年しちゃったのだろう…。

雪に閉ざされた、長い長い冬休み。子どもたちのもとに、手作りの動物図鑑を次の冬休みまでには届けたいな。兄弟姉妹でたくさん色々な動物や世界のことに触れてほしい。

耳の聞こえなかったサラーム君は、無事に検査と投薬での治療が始まった。それで様子を見てダメなら補聴器を使うことになるらしい。もし、次回の訪問で、少しでも音のある世界を取り戻した彼に笑顔が増えていたなら…それって素晴らしいことだろうな。

文部省が計画してくれた新校舎の建設は、延びに延びて完成がどうやら夏以降になるらしい。これで次の春から二学年が教室からあぶれ出る。人数の少ない二学年がコンテナの中での授業になる。早く出来るといいね。

そして、先生たちは、下の町での研修に一生懸命通っているらしい。この研修をクリアすれば、国からの正式な教員免許が発行される。テストだらけで先生たちも必死らしい。でも、それが山の子どもたちへの教育の質の向上につながるなら、こんなに嬉しいことはない。

ニュースの流れないところにも、人の営みはあって、少しずつみんながよりよい暮らしに、平和になるために日々努力している。

そんな最近のアフガニスタンの山の地域のお知らせをご紹介。

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カブールから1時間半ほどのチャリカールという街、昼下がりに出会った雑貨屋の店番をしていた少年。

お店には所狭しと、うず高く商品が積まれている。その殆どが中国かイランかパキスタンからやってきた食品とお菓子。

このお店で品物を眺めながら、アフガニスタンがもっともっと平和になって、自分たちの国で、自分たちの手で生産したものが流通するようになって、アフガニスタンの隅々にまでその商品を手に取る人が増えること…ふと、そんな未来を思い描いた。

このお店にうず高く積まれる商品も、いつかアフガニスタン製のモノで溢れるといいな。

それが平和ということ。

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山の上の学校に至る途中、ある方のお墓参りをしました。
この写真は、学校の校長先生がお墓にお供えするお花を持って立っている写真です。

ボスの旧友でこの地域の指導者でもあった方のお墓参りのために、その方の部下でもあった人の実家で花を摘ませてもらいました。このお墓参りの話も、いつかは書こうと思うのですが、なかなか書き出せません。ボスにとっても、勿論我々にとっても(会ったことはありませんでしたが)特別な人でした。常に自分のことよりも地域のことや、国のこと、部下や部下の家族のことを一番に考える卓越した指導者でもありました。欲もなく、戦争が終わったら真っ先に途中で中断してしまった勉強を続けるために大学へ戻りたいと言う人でした。花を愛し、詩を愛し、本を愛する人でした。

ボスは昔、自分と同年代のその方を通してアフガニスタンの戦いを追いたいと単身乗り込み、取材をしながら生活を共にしました。何年も何年も通い続けながら丹念に追うことでいつしか固い友情が芽生えました。しかし、残念なことにその方は敵対する勢力に暗殺されました。その時のボスの悲しみよう、喪失感、悔しさは、傍で見ていても苦しくなるものでした。

その方と組織作りの旅を共にしながら、かつて何度も一宿一飯のお世話になった村がありました。その村には窓も黒板も机も椅子もない学校がありました。それまでは学校もない山岳地帯にその方が材料を供出して村人みんなで作った学校でした。「子供こそがアフガニスタンの未来を担う」と地域の教育に熱心だったその方の遺志を継ぎたいと、悲しみの中からボスが立ち上がりました。

それが、この山の上の学校なのです。

お墓には、たくさんのお花が供えられていました。
たくさんの人がお参りに来ていました。

ボスからずっと話を聞かされていたその方に、ようやく対面できました。
生きていらっしゃる間にお会いしてみたかったけど。

その方とボスの出会いがあったからこそ、我々と学校の子供たちも出会えました。
その方とボスの友情に導かれ、永遠に人がつながっていけるといい。

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タリバン政権崩壊後、過去最大の自爆テロがアフガニスタンを襲った。場所はタリバンの本拠地であったカンダハル。同名の有名な映画の舞台だ。現在のところ、その闘犬場でのテロの死者は80名。またもや尊い命が失われてしまった。去年一年のテロは137件、死者は1730人だそうだ。ただの数字ではない。一人一人に人生の物語があり、それを無念にも絶たれてしまった。

アフガニスタンに実際に行って、多くの人に出会ってから、(パレスチナでもそうなのだが)ニュースで死者が出るのを目にするたび、出会った人たちではないか、彼らは大丈夫か…と案じてしまう。そう案じる自分に気づき、初めて死亡した何人が、ただの数字ではないことに気づかされる。昔、パレスチナでハマスの幹部が武装ヘリコプターから爆殺された時、たまたま巻き添えをくった地域が馴染みのある地域だった。幹部の誰だれ他子供が数名死亡とのニュースが流れ、まさか知っている子では?まさか巻き込まれたのでは?確かめるすべもない自分の無力さと、ただの数字として流される命の重みへの思いと、悔しさで涙が止まらなくなってしまったことがある。

一人の命の重みに、違いがある訳がないのに、目の前に横たわる現実は容赦ない。

この写真は、アフガニスタンの交通の要衝チャリカールの街角にあるジュース屋さん。自国で生産していない清涼飲料水が高価なこの国では、フルーツのジュースがむしろポピュラー。とはいえ、フルーツも大半をパキスタンからの輸入に頼っているのが現状。戦争でフルーツづくりの基盤も畑もズタズタになってしまった。

今回のテロで亡くなってしまった方々も、きっとこんな風に笑ってる名もなき市民に違いない。彼らの家族の、友人の嘆きや悲しみはいかばかりか。

アフガニスタンに平和が訪れますよう。月並みなことばだが。

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