
支援を始めた当初「十年後にはアフガニスタンは安定する方向に向かうだろう」との見通しで始めたこの活動。しかし相変わらず大国の意のままに動かされ、いじられ続ける、そして時折また放置されるアフガニスタンはなかなか安定に向かわない。いくらアフガニスタンの人々が平和を望もうとも、ゲームのコマか何かのように翻弄され続けている。
この世界のどこに、子どもを失って平気な親がいるだろう。家族が危険にさらされても構わないなんて人がいるだろう。アフガニスタンの人々だってそれは絶対に平和がいいに決まっている。でも、そんな彼らの声を聞こうとしていないのは世界の方なのだ。暮らしていくには仕事が必要だし、今の時代にはいくばくかのお金が必要に決まっている。そんなシンプルなことも解決できないようなアフガニスタンの構造を作りだしているのは誰なのだろうと考えてみてほしい。
今日みんなで「今のままのカタチでの支援の会」の幕引きについて話した。本当ならば一生、みんなの命ある限り続けて行きたい、見守っていきたい活動であるには決まっているけれど、今の規模のまま同じことをこれからも続けられる予算もないし、永遠の支援なんて不可能だ。それは「縁を切る」とか「もう何もしない」ということでは決してないけれど、十年間と当初予定していた規模、内容の今の支援は区切らざるを得ない。
そこで、どういう風に、どんな規模でその後に関わっていくのかを、最近いつもスタッフ同士話している。「将来、村に戻って教師や医者になる意志や夢のある子に、村からは遠く離れた下の町やカブールにある高校や大学への進学の基金を作って関わっていきたいね」という話をみんなでした。
自分たちが、入学の際にひとりひとりに手渡した筆箱や鞄を抱えた小さな子どもたちが、いつか村で初めての診療所を開いてくれたり、またあの山の学校で更なる未来を支える子どもたちを教える教師になってくれたら、どんなに素敵なことだろう。そしてそれを希望する子の夢を後押しすることが出来たなら…。
現金収入もほとんどない、自給自足の小さな山の村。出会って、関わることが出来て、強く愛するようになった子どもたちが大人になっていくのを、仲間たちと見届けて行きたいと強く思う。
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