世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

カテゴリ: つれづれなるままに

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ここ二日ほど桜の撮影をサボっているあいだに、すっかり桜が散り始めており、もう散りかけているのに撮ってもしょうがないよなあ…などと考えていたが、やっぱり撮りたくなり、わずかな時間をみつけてカメラをつかんで今日も飛び出す。「見頃は短い」「散りゆく花は撮ってもしょうがない」そんな風に感じていた自分を恥じる。満開ではなくても、一番の「見頃」は過ぎてしまっても、散りゆく花にもその独特の美しさがある。「滅びの美学」なんて言葉も思い出す。

とまあ、そんなことを感じながら撮った写真をアップする前に、まだ満開の「見頃」の写真のアップが終わっていないので、こちらを先に。

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撮影をしていると、いろんなことを考える。普段考えないようなこと、普段気づかないようなことまで思い到るときがある。「すべてのものを創ったのは神、人間はそれを発見するだけ」というようなこと(うろ覚えなので不正確だったらスミマセン)を言ったのはガウディ。あれだけのものを「つくりあげ」たガウディですら、「自分は神が創った自然から見つけ出したに過ぎない」と感じていた、その言葉を、自然と向き合いながら作画していると何度も思い出す。カメラを手にしていなければ、ファインダーをのぞいてシャッターを押していなければ、そんなことを感じ取ることもなかっただろう。

「それどころじゃない」ことだらけの日常のなかで、こんなことを感じられる時間がもてる幸せを思う。

今日はパレスチナの「土地の日」だ。大地に根差す木の根っこをみつめながら、土地を奪われること、人生を奪われること、尊厳を奪われること、何十年も放置されることを思う。

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2019年、フェアトレードでパレスチナからオリーブオイルやザアタル、石鹸、刺繍製品を輸入販売するパレスチナ・オリーブ代表の皆川万葉さんと共著『パレスチナのちいさないとなみ』(かもがわ出版)を出版しました。パレスチナの「おしごと」をテーマにした一冊です。お近くの書店でお取り寄せが可能です。

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読後のご感想もお寄せいただければ幸いです。
ネット上でのご投稿やご感想、レビューなどには #パレスチナのちいさないとなみ をつけてご投稿ください。

もちろん、本に挿しはさまれたハガキや、版元ページのご感想記入欄でも。

ネットでは、下記のリンク先などでご購入いただけます。

★『パレスチナのちいさないとなみ』
版元のかもがわ出版のページ
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http://www.miraisha.co.jp/np/isbn/9784624411022
 
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ただし、この場合恐れ入りますが、本代と送料実費を頂戴します。

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今年は桜を撮る気力もないなあ、今朝の今朝までそう思っていた。うちの窓から目の前一面にほぼ満開の桜の木が見渡せるのに、窓の外をしみじみ眺める気力もなくしていた。「あ、シロが窓辺で花見をしている。写真を撮ろう」と、久しぶりにカメラを取り出したが、仕事も撮影の機会も激減したいまや、カメラの電池も切れていたというお粗末さ。ああ、いつからこのカメラ使っていないんだっけ。仕事で最後にこのカメラ使ったのいつよ。苦笑する。別のカメラを取り出す。(窓の外の光景を鮮明にしないため、桜をオーバーで飛ばしてあります)

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ところが、今日、ふと午後からカメラを持って小一時間ばかり近所をぶらつく気になった。用事があってちょっと出なきゃいけないのがちょうどよかったのかも。用事を済ませて、カメラをつかんで飛び出した。

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風に揺れる桜の枝を見上げる。どの花びらのどの表情を切り取ろうか。見上げた先に無数の花が目に入るが、そのなかのどの花を、どんな風に切り取ろうか。どのコ(花ですけど)にどんな光が当たって、どんな表情を見せてくれているのかな?そんなことを考えながら、視線を走らせる。

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サクラなんて、どの花も同じ・・・じゃない。花びらの個性や咲き方はもちろんのこと、光の当たり方、背景の色、カタチ、さまざまな要素で写し取られる表情が変わる。それが面白くて、知らず知らずと夢中になっている。ああ、ファインダーをのぞいて、被写体と向き合い、その表情を切り取る・・・ただそれだけのことが、こんなに楽しいんだな、ワタシはこんなにも撮影が好きなんだなと、ふと忘れていた気持ちに気づかされて驚く。シャッターを押す高揚感、思うように表情が切り取れた喜びに夢中になる。

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一年前のこの時期にも、思うようにならない焦りと苛立ちと、そんななかで桜を撮ったときの気持ちが「花のチカラ」として残されていた。一年かあ、進歩ないな。でも、写真を撮ることがこんなにも楽しいと思えるうちは、まだ大丈夫な気がする。

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うん、まだ大丈夫。とってもそんな気がした一日でありました。

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SNSで医療従事者と思われる方々のいくつかのつぶやきをみた。(意訳。一字一句正確ではない)
・外出自粛のなか外に出て遊んで罹ってるひとを命がけで看護する気にもなれない
・仕事を休んでも給与がもらえる(補償される)ひとがいるなんて、働いている私たちはアホらしい

いや、ごもっともだとは思うんだよ。医療従事者の方々の命と安全と生活が守られるよう、最善の配慮がなされるべきだと思う。でも、一方で、こういう「分断」がワタシにはウィルスくらい恐ろしい。医療従事者はもちろんのこと、命がけで働いているすべてのひとに感謝する。

「遊んでいるから罹る」わけじゃない。補償がないから、リスクをおかしてでも働きに行かざるを得ない。外出せずにできる仕事ばかりじゃない。外出すれば罹るかもという恐れもある。でも今日の日銭を稼がなければ暮らせない。だからこそ「補償を」と言っている。医療従事者の方々に、これ以上無用なリスクを負わせないためにも、感染者と感染リスクを減らすしかない。そのためには、きちんとした補償と、それを受けて外出を慎む、ひととの接触を避けるしかないと思う。そのうえで、医療従事者やそのほか私たちのライフラインを支えるようなお仕事に従事されている方々には、手当てを追加すべきだと思う。(専門家ではないので、財源は~?とか、無用なカラミはご勘弁。まずは軍事費、あ、「防衛」費か、削ればいいんじゃない?いまや外国が攻めてくる云々より目に見えないウィルスと、それを利用して自らの保身や利権や意思を押し通そうとするニンゲンの方がよほど脅威だ)

こんなときだからこそ、立場や考えが違うひとの気持ちを考えたい。考えたってわからないことも多いけれど、少なくとも「自分の正義」みたいなものは疑った方がいい。

責任を取るとか、取らないとか、首相の言葉が話題になる。でもさ、考えてみれば「責任を取る」って本当の意味では無理なんだよね。亡くなった命は還ってこない。それでも、「責任を取る」という意識と覚悟をもって全力で最善を尽くすのか、否か、問われているのは言葉の字面ではなくてその意志の有無でしょう?その気持ちも意志もない方に、責任云々を言われても。しかも取ったことも実際にはないのに、「取ればいいってもんじゃない」とまでおっしゃる。本当に、こんな首相、政府に殺されるのはまっぴらごめんだ。大切なひとが、この意図的としか思えない無策と愚策で亡くなったらと想像するだけで、居ても立ってもいられない気持ちになる。(もちろん自分自身も、ね)

こんな、仕事もほとんど尽きて暇ばかり持て余し(とはいえ、持て余してはいないかも、なぜか結構忙しい)悶々としてる日々に、原稿書きの仕事をくださった某社某氏、「桜の写真プリントを注文して『仕事』をあげよう」とご注文くださった方、パレスチナのポストカードをご注文くださった方(8枚セット600円です。2セットより発送いたします)、シロの写真でポストカードをとご注文くださった方(ちなみに、シロでもパレスチナでもアフガニスタンでも、お好きな写真でポストカード刷ります。家のプリンターでの作成なので、こちらは少し割高です)、自社のオリーブオイルを送ってくださった『パレスチナのちいさないとなみ』共著者でパレスチナ・オリーブの皆川万葉さん、本当に本当にありがとうございます。

「ひとりじゃないよ」そう言われている気がしました。本当にありがとう。

昨日も書いたけど、いますぐ劇的に変えられることはないかもしれないけれど、声をあげる、自分にできる範囲で無理なく行動する、そういうことは力尽きない限り、続けていかなきゃと思う。

税金は、ワタシたち自身が使い方をチェックして決める。補償はなにも自分自身のためだけではない。しかも、それは「恵んでもらう」ものじゃない。政治家や官僚の「自由になるカネ」ではない。ほかの国々で「あたりまえになされていること」が、なぜこの国ではこんなに渋られるのか。本当に私たちは政治のあり方を考えなくてはならない。自分の暮らしのために政治があることを。ワタシたちは国のための便利な使い捨てのコマじゃない。

今日は、そんなことを考えながら、ひよこ豆を煮ていると夕方になっておりましたとさ。

今日も先日撮った桜の写真とシロさんの写真を添えて。

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二月にだんだんと仕事が消え始め、三月にほとんど仕事がなくなり、四月に突入した。

日々思うことはツイッターでつぶやき続けているので、ここではできるだけ繰り返さないが、補償がなければ、どれだけリスクが高いとわかっていても、どれだけ不安でも、仕事に行くために外出せざるを得ない。金を稼げなければ生活が成り立たない。家で仕事ができる職種なんて限られている。

それでも「補償はしない、外出自粛を要請する」というのは、結局、よほどの資金力や体力がない会社も人間も生き残れないけれど、政府に「生き残る必要なし」と言われているに等しいと感じる。ずっとずっと「自己責任」が叫ばれ、どんどんひとの心に刷り込まれてきた国だもん。その「なれの果て」だと感じる。

でも、それを意図の有無はともかくとして、放置して許してきたのは自分自身なのだ。虚無感で倒れそうになる。でも、すぐに劇的に変わることなんて、なにもないんだ。あきらめたらそこで終わりだ。次世代になにを残すかだ。そうパレスチナで学んできたじゃないか。しんどいから、ときには休み休み。そうはいっても、やっぱり疲れる、落ち込む。ときには激しく落ち込む。収入がほとんどないからなおさらだ。

「緊急事態宣言が出たらホームセンターも休止要請」というのを目にしたので、銭と気力と買い占めなどで在庫が尽きる前に、当面のシロのご飯を買いに行く。ノラ猫だったシロは、公園に捨てられて腹をすかせた日もあれば、みずたまりの泥水をすすっていたこともある。そんなシロも、いまでは結構選り好みする。いくら最終手段としてネットで買えるとはわかっていても、当面の在庫くらいは確保しておきたい。

そんなことを考えながら歩いていると、近所の花壇に色とりどりの明るい色の花が咲いていた。どれだけ暗い気持ちでいても、春になれば明るい色の花が咲く。そんな当たり前のことに、妙に感動したのだった。視界から受ける感動、そんなに滅多にあるわけではないが、理屈ではなく、目の前の光景に感動した。「花ってスゴイな」と思わずつぶやいてしまった。滅多に花も買わない、飾らないような粗忽な人間だ。一輪挿しも花瓶もほこりをかぶったまま部屋の隅に置かれている。ほこりをかぶっていないものは、花の代わりにシロの玩具のひものついた棒が挿してあるような始末だ。「ああ、花でも買って帰ろうかな。お金ないんだけどな。でも、こんなときだからこそ、花なのかな」と思うも、結局、買えず。

でも、どこにも行けない日々に、桜盛りの近所の公園をひとりで歩きながら撮り歩いたじゃん。ちょっとそれを眺めてみようと思う。

いま、自分にできることはなにもないに等しい。取材に出られるわけでもないし、それどころか次の取材費として貯めてあったものが、どんどん減るばかりだ。このままでは、「次の取材」なんて夢のまた夢。そう考えるだけで、もう起き上がれないような気持ちになる。もう、なにもしたくなくなる。幸か不幸か、本当にこのままなにもしなくても誰にも迷惑が掛からず、誰も困らない。なにも考えず、ただひたすらふて寝していることだって可能だ。しばらくは。ひととして、恐ろしいことだと思う。自由すぎる自由(ただし、収入の伴わない)に戦慄する。

『パレスチナのちいさないとなみ』のまえがきで、ビリン村のパパのことを書いた。仕事を失って、宙をみつめて煙草を吸うばかりのパパ。数年経ち、ついに煙草の煙すら見えないまま同じ場所に座り続けているパパ。あのころのパパの心のうちの焦り、絶望、悲しみ、苦しみを想像すると泣きたくなる。「仕事をする」って(収入の多少、有無はとわない)誇りを保つことなんだな。いまの自分には、より実感をもって、わかる。

なにもできないけれど、身のまわりの写真だけは撮り続けようと思う。そして、写真を撮るために必要な「心」だけは、失くさないようにしたいと思う。

一番、この写真を見せたいのはビリン村のパパ。でも、もうパパの目には、なにも映らない。

写真はすべてオリンパスEP-2、レンズ40-150mm(F4-5.6)にて撮影。
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ワタシは普段ほとんど日本でデモに行かない。その理由を改めて考えてみると色々あるなと気づくのだが、一番の理由は「団体行動が苦手」ということなのかもしれない。そんなことは求められていないよ、という声も聞こえてきそう。そうかもしれない、行かないことへの言い訳かもしれない。

デモをしても、署名をしても、そのこと自体で何かを変えられるとは思っていない。ゼロではないけれど。ただ、意思表示としてはすごく大事なことだと思っている。

6月30日、ある高校でパレスチナやアフガニスタンの人々の話をする機会をいただいた。いつものように、大きな国際情勢の流れなんて話ではない。ワタシに出来ることは、出会った人たちがどんなふうに生き、どんなことを考えているのかを伝えること。

生徒さんたちは、熱心に聞き、質問をし、授業が終わった後も何人かの生徒さんとずっと教室の片隅で話を続けた。みんな、ものすごく勉強していて、ものすごく「自分にできること」を真剣に考えている。

この授業を終えて、心の底から、彼らを戦場に行かせてはならない、彼らの未来を大人たちの身勝手な欲望や弱さや怠惰でいま潰してしまってはならない。彼ら自身が自分たちで考えて、決めることが出来る日までは、自分たちが責任を持って行動しなくちゃならないと痛感した。

だから、その足で、官邸前に向かった。

ワタシにとっては、日本のデモはなんだか敷居が高い。「デモに敷居なんてないよ」と言葉を寄せた友達がいたが、それは、それぞれの感じ方。理由は定かではないけれどワタシには簡単に足が向かう場所ではない。取材、撮影ならともかく。

案の定、辿り着いてみると、まだ早い時間だったので「常連さん」とおぼしき方々が多く、皆さん顔見知り同士なのか、仲間同士なのか、談笑をしていらっしゃる方が多い。ひとりで所在なさげに立つ自分。SNSで発信してみる。すると知人のひとりから「官邸前へ向かっているよ」とコメントが。しばらくして合流して、ようやくなんだかホッとする。

「安倍はやめろ」「ファシスト打倒」「民主主義を取り戻そう」いろんなコールが繰り返される。自分には違和感のあるコールも少なくない。でも、そんなときは黙っていればいい。何も自分の思いと違う言葉を場の雰囲気に流されて叫ぶことはない。

パレスチナや「革命」後のタハリール広場でのデモと一番違うのは「ここで命を失うかも」という緊迫感がないこと。それは非常に気持ちが楽だ。でも同時に、本気で変えたいなら、ここに立っているだけではダメだなと自省する。これで「何かをやった」気分になっていては、何も変わらない。

夜21時半くらいにその場を離れる。この日のニュースでは35000人から40000人が官邸前で声を上げたと。これだけのひとの思いを、どうにかできないものなのか。

その日知人に話したことを、家に帰ってからもずっと考える。自衛隊員の弟がいること、彼がアフガンや中東に攻め込む日がくるかもしれないという可能性を、もう長年ずっと考え続けていること。そして、集団的自衛権行使が決まれば、ますますその可能性が近づくこと。

眠れなくなった。自分が官邸前に立つのは、集団的自衛権に反対するのは、上記の理由から。普段行かないデモに参加するのは、マジで他人事じゃないから。個別的自衛権と集団的自衛権はまったく別物。自分の国が攻められて守るのは当たり前。でも、他国を「自衛」の名のもとに攻めるのは違うと思う。

ここからは、ツイッターの投稿を含めて。(以下●印がツイッターへの投稿)

●明け方眠れずこれを作ってみたものの、実際官邸前で掲げる勇気があるのか自分でも分からない。こんなとき思うのは戦死した父親の死の意味を問い続ける金城実さんの勇気と覚悟。逃げちゃいけない。闘い続けるパレスチナの友に恥ずかしくないように。

それが、この写真の紙。国家に反対するということは、特別国家公務員である弟に迷惑をかける可能性もある。お互いに大人なのだから、それぞれの意思を通して生きていけばいいとは思う。でも、やっぱり一線を越えるようで躊躇する。「写真家、高橋美香」として国家に抗うことに躊躇はなくても。

母の顔がなぜか浮かぶ。ワタシはもう何年も弟と話をしていないし、ましてや彼の仕事の話に関しては、一度も話したことがない。「もし弟が、アフガニスタンでワタシの大切なひと達を殺すようなことがあったら、ワタシは絶対にあいつを許さない」と何度も母を責めるように口にしてきた。母を責める筋合もない。でも、誰かに言わずにはいられない自分の弱さ。それを母に甘えてぶつけ続けてきたワタシ。そのたびに「そんなこと言わんといて」と顔を曇らせる母。

差別される沖縄の現実をみつめ「立派な日本人」になれば差別はなくなると信じ、志願兵として戦死した父親の死の意味を問い続ける金城実さん。お父さんの盛松さんの思いを踏みにじるように、いまでもほとんどの日本人は無自覚な構造的差別が続き、沖縄には米軍基地が集中する。靖国の「英霊」として祀られる父親の死は「犬死にやった」と厳しく問う実さんの勇気と覚悟を思い出す。

同じころ、パレスチナの状況はどんどんひどくなっていく。入植者の青年の「誘拐殺人事件」の報復としてガザに空爆が加えられ、西岸地区でも日々弾圧が進められる。命を懸けて抗うパレスチナの友を思う。

そして、一度、爆破されて瀕死の重傷を負って、なんとか回復して、不自由な体で懸命に生きるアフガニスタンの友のことを思う。彼にはもう二度と苦しんでほしくない。彼だけでなく、あの国で懸命に生きる多くの友、大切な子どもたちが苦しめられるかもしれない。そんなことに、自分の血がつながった身内が加担するかもしれないなんて耐えられない。

眠れぬまま「閣議決定」される1日の朝を迎えて、アフガニスタンでの活動のための助成金申請の説明会に向かい、それを終えてまた官邸前に向かった。あの紙を持って。

●ジェニン難民キャンプでまた居候先の家族の知り合いがイスラエル軍兵士に射殺された。ワタシがたかが紙切れを掲げる勇気を必要としているあいだにも、命が消えていく。弾が飛び交う現場に立つより躊躇する自分って何なんだろう。母の顔ばかり浮かぶ。そのタイミングでアフガンの友からメールがくる。

●カメラマンなんだから、本当は紙を掲げるより写真を撮るべきなのも分かってる。でもやっぱりその前にひとりの人間として言うべきこと、言いたいことがあるから、カメラを持つべき手で紙を掲げようと思う。両立できる器用さがあればいいのにね。さあ、「仕事」が終わったので官邸前へ行こう。

●わたしには自衛隊員の弟がいます そしてアフガニスタンに大切な友がいます 集団的自衛権の名のもとで弟に友を殺させたくない 殺されたくない」と書いた紙を掲げて一日官邸前に立ちました。4社から取材受けて弟の命の問題を主題に話を進められるのですが、覚悟をもって命令に従い攻め入る弟の命の問題だけでなく、むしろ何の覚悟も準備も、もちろん非もなく「集団的自衛権」のもとに彼らに突然奪われる可能性のある異国の友の命の問題を訴えたいのです。極論だとは分かっているけれど。血の繋がりの有無だけが、かけがえのない大切なひとをつくる要素じゃない。

土壇場で、本当に躊躇した。何度も、自分ひとりの自己満足のために家族に迷惑をかけてもいいのか?その覚悟は出来ているのか?と自問自答した。この姉を持つことで、弟が望む道を絶たれる可能性があるんじゃないか?そんなことも考えた。その責任をとれるのか?

でも、もしそうなった場合、一生、弟からの、家族からのどんな責めも受け続けようと思った。責任なんて取れないけど、一生恨まれて、責められて生きていけばいい。そう思った。血のつながった肉親だからという甘えなのかもしれないが。

そんなことよりも、命が大切だと思った。理解してほしいとも思わない。自分勝手なひとりよがりな思いなのだろう。でも、ワタシにとっては、弟だけじゃなく、異国の「家族」や友の命が大切だから。

閣議決定はされてしまった。もちろん、そうなることは分かっていた。まだまだ行使を阻止するためにこれからも闘いは続いていく。ワタシはこの紙を掲げて意思表示を続けていこうと思う。

命を懸けて闘い続ける、懸命に日々を生きる友に顔向けできないような生き方は絶対にごめんだから。

※ご批判やご意見等たくさんあることは承知のうえです。ただ、自分自身が必死に考えて、悩んで決めた行動ですので、この場での説教などはご遠慮申し上げたいと思います。もちろん、ワタシのことをよくご存知である方々からの、直接の対話の場でのご意見、ご批判、説教等は大歓迎です。顔の見えないブログという場ではご勘弁と思っておりますので、ここにはコメント欄は設けないことにさせてください※

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