
現在では「イスラエル」と呼ばれるあの故郷の土地を奪われ、追い出されたパレスチナ難民にとって、「自分たちがかつて暮らしていた土地に戻ることを要求し、それが現実的に不可能であるなら、そのことに対する補償を要求」するのは、当然の権利だ。その権利を保障したのが、国連決議の第194号。なんと、イスラエルはその権利を放棄しろと。
こんな泥棒理論が通用…つまり、国際社会がそんなことを黙認しているから、今もなお堂々と「入植地」をつくり続け、盗み続けているのだろう。その違法な「入植地」だって、六十年前に盗んだ土地やその権利を放棄させるように、数十年後には既成事実と放棄させようとするのだろうから。
デヘイシャ難民キャンプで出会った子どもたち、彼らはこのキャンプで生まれ、育った3世や4世だ。耕す土地も持てず、仮の住まいで数十年も暮らし、子どもたちは「自分たちの故郷」を見たこともない。
失った土地、財産、故郷…そういうものに対する「補償」の権利すら放棄しろだなんて…。
そんなことを許して、なにが「和平交渉」だ。
パレスチナの人々は、失った故郷をひとりひとりの胸に抱えながらも、それでも現実的に、今いる場所=難民キャンプで一生懸命生きている。
難民のなかには、「失った故郷には、もう他の誰かが住んでしまっているのも分かっている。そこを取り戻すために、またもや血を流さなければならないのなら、必ずしもその場所に帰ることに固執しなくてもいいと思っている。ただ、きちんと謝罪や補償はしてほしい」と言う人もいる。
帰還権の放棄…それが、どれほど非道で残酷なことなのか、ネタニヤフは、そのネタニヤフを選んだイスラエル人は、一度でも考えようとしたことがあるのだろうか。戦いや争いを拒絶する、そんなパレスチナ人をも袋小路に追い込むことだと分かっているのだろうか?
分かっているのだとしたら、袋小路に追い込んで、結局は全力で叩いて、全部を盗るつもりだとしか考えようがない。だとすると、和平交渉の先にあるのは、またもや…。


