世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

カテゴリ: スーフィダンス

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昨夜、エジプト留学時代に父と慕った大切なひとが亡くなった。一番辛いときに教えてくれたパパの息子ホクシャに心から感謝する。パパにとって、シングルファーザーとして育てていた三人の息子たちは特別な存在だった。パパがどれほどあなたたちを愛していたか…でも、心配なかったね。ちゃんと伝わっていた。あなたたちは、その大きな愛を、まっすぐに受け取って育ったね。

エジプトに留学していた2000年から2001年、スーフィダンスの撮影に夢中だった。週に二回通ううちにダンサーや演奏家の方々と仲良くなった。プライベートなお付き合いが始まった。そんななかでも、一番親しく、かわいがってくれたのがタブラ奏者のパパ、ハサンだった。

パパはエジプトで生きること、エジプトでアーティストとして生き抜くこと、大切なことをたくさん教えてくれた。「うちは息子が三人だから、ムスメができたみたいだ」と本当にかわいがってくれた。「日本人は魚が大好きだろう」と、パパの家があるショブラで魚パーティを開いてくれた。一番バカバカしくて、一番笑い転げた日だったので、魚パーティのことは深く印象に残っている。

冗談が好きなひとだった。どこまでが冗談で、どこからが本気なのかわからないひとだった。チャランポランなところもたくさんあったけど、芸に対しては厳しいひとだった。子どもたち三人は、パパにたくさん振り回されたかもしれないけれど、溢れる愛情はしっかり受け止めていた。「しょうがないなあ、父さんは」と言いながら、ため息交じりにパパのフォローにはいる長男ユーセフの姿が印象的だった。

パパは、新天地を求めた。「エジプトではアーティストがきちんと評価されない。もっと大きな世界を目指したい」と、オーストラリアに渡った。まだ幼かった三男のホクシャも大変だったと思うけれど、オーストラリアで彼はしっかりと成長した。パパの愛に包まれながら。

2002年にカイロで別れてから、ずっと音信不通になってしまっていたパパとワタシ。きっとオーストラリアで元気にやっているのだろうと思っていた。2014年、突然パパからメッセージが届いた。「この十年探し続けたぞ。オーストラリアで会う日本人、会う日本人みんなにミカを知らないかと訊ね続けたんだ。ようやくみつけたぞ」と。

きっかけはフェイスブックだった。ホクシャがパパに「これでミカを探そう」と言ってくれたそうだった。そこから、メッセージや電話の交換が始まった。

パパはワタシが夢を諦めなかったこと、パレスチナに通い続けていること、写真を撮り続けていること、本を出版したことをことさら喜んでくれた。「それでこそ俺のムスメだ!」と笑った。

「いつかオーストラリアにおいで」「いつか訪ねるね」そんな約束を繰り返しながら、とうとう果たせなかった。どうしてすぐに訪ねなかったのだろう。どうして後まわしにしてきたのだろう。どうして「クシャクシャのおじいさんとおばあさんになってからの再会もいいね」なんて悠長なことを考えたのだろう。どうして、こんなに早くパパが逝ってしまうことを想像できなかったのだろう。

どれだけ悔いても遅すぎる。悔いのないように全力で、思い立ったら即行動!がモットーなのに、ときどくこうやって取り返しのつかない悔いを重ねる。それがよりによってパパとの別れなんて。

でも、病気だったとホクシャから聞いた。だとしたら、もう苦しまなくて済むね。天国で安らかなときを迎えているね。

パパ、本当にありがとう。大きなひとでした。大切なひとでした。どれだけ離れていても。

別れのとき「ミカはロバが大好きだから、特注で作ってもらった」と木彫りのロバと、ロバのTシャツをプレゼントされた。木彫りのロバを握りしめると、もう遥かかなた昔のことなのに、そのときのパパの笑顔とぬくもりを思い出して涙が止まらなくなった。

どうか天国で安らかに。

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家を掃除していて、たまらなく懐かしい写真をみつけた。エジプト留学当時の写真。しかも、その当時必死で追いかけまくって撮影を続けていたスーフィダンスの写真ファイル。

ところで、今度の写真展「ボクラ・明日、パレスチナで」期間中の8月2日(日)14時からは、松尾賢(ウード)、地主大介(ダラブッカ)両氏による投げ銭アラブ音楽ライブ開催が決定。

そもそも、どうしてこんな面白い企画が実現することになったのかというと、アラブの太鼓、タブラ(ダラブッカ)奏者の大介は、ワタシのエジプト留学時代の留学生仲間。ワタシの青春時代のすべてがつまったカイロでの日々を、一緒に過ごしたヤツ。

大介はアラビア語を学ぶかたわら、スーフィダンスの演奏家の一員ハサン・ユーセフ氏からタブラを習っていました。ワタシは、それを同じアパートで眺めながら、一緒にスーフィダンス観覧に通いながら、写真を撮り続けていた。

それだけでなく、スーフィダンサーのみんなには、本当に公私ともどもたくさんかわいがってもらった。エジプトの庶民の生きざまを教えられたのは、ほとんど彼らと過ごした日々のなかでのこと。永遠にこの日々が続けばいいと思った。

その後、パパハサンはエジプトを離れることになった。ワタシたち留学生仲間も、帰国後みんなそれぞれの道があり、離れ離れになった。

それでも、いまもつながっている。同じく留学生仲間の早川拓司(画家)には、拙著「パレスチナ・そこにある日常」の絵地図を描いてもらった。嶺崎寛子(研究者、愛知教育大学准教授)とは、彼女の著書「イスラーム復興とジェンダー」にワタシのエジプトの写真を提供した。

帰国後、みーんなそれぞれの道を歩むなかで、こうやって、またあのころのように一緒に何かを出来るということに、深く感謝しています。この写真展とライブのコラボを、一番観てもらいたいのはパパハサン(とワタシは呼んでいた。大介の太鼓の師匠のハサン・ユーセフ氏のこと)かもしれないな。

いつか、みんなでパパハサンをオーストラリアに訪ねるのがワタシの夢。みんな年とってクシャクシャになってからでもいいから、いつかみんなでまた集いたい。

写真は、プリントをスマホで撮ったものなので質悪いけどお許しを。。。

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三月に写真集「ボクラ・明日、パレスチナで」(ビーナイス)を刊行以来、はじめて同名の写真展、同名の写真集に収められた写真の展示を開催することになりました。

日時:8月1日(土)~9日(日)11時から18時(最終日は16時まで)

場所:NMCギャラリー&スタジオ
   小平市小川西町4-14-27
   西武国分寺線・拝島線 小川駅西口下車徒歩二分

入場無料

8月2日(日)14時から
松尾賢(ウード)、地主大介(ダラブッカ)両氏による投げ銭アラブ音楽ライブ

 
普段仲良しのみんなが、こんな風に描かれているとドキドキする。
 
スーフィ撮りに行きたいなあ!!!

スバラシイ映像を発見!
 
スーフィダンサーたちの舞台裏。
 
練習、実は厳しいんだよねえ。
 
いやあ、宝物を発見した気分になりました!
なんで主人公が、イブラヒム・オサマ(彼の名前)なのかが分かりませんが…。
彼、すっげー地味な人なんですよ。
自分から全然シャシャリ出てこないし。
 
いい意味でも悪い意味でもほかの人が滅茶苦茶自己主張強くて、アクが強いので、彼目立たないんですよね。
その彼を、選んで主人公に据えたところに、このフィルムの素晴らしさを感じる!!! 削除


しかも、ちゃんと責任者のマハムード・イーサ氏の連絡先まで書いてある。
これって公式映像なのかな?
さすがに「ビデオ撮影禁止」を謳っているだけあって、スライドショウなのがまたいいし。

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