世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

カテゴリ: エジプト 1997

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3月17日に書いた記事にこんな一文がある。

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「夜、大学時代にお互い一人旅でヨルダンで出会い、すっかり意気投合してそのままエジプトまで旅を一緒に続けたNが(動物園写真展に)来てくれた。それこそ今よりずっと若くて、蒼くて、下手だった写真から見てくれている友。「ミカっち(と呼ばれている)の写真のラブリーな部分がこんなに出てる作品は初めて。このジャンル、スゲー合ってるんじゃない?ホントにいい写真」と彼。十何年付き合い続けてこんなに褒められたのは初めて(笑)ずっと傍で見てきてくれた人に褒められるのは嬉しいな。仕事が忙しくて会場には来れなかったもう一人の友Tと合流、三人で久々の語り合い。少しずつ歳を重ね、それぞれの夢に向かって歩く同世代の三人組。たまたまあの日、あの時同じ場所を旅していたというだけのきっかけで出会った三人、こんなにも深く長い付き合いになるとは思わなかった。今日は改めて「5年後、また一緒に三人で旅をしよう」と約束した。二十歳やそこらで歩いた場所を四十に手が届く頃、もう一度三人で歩く…とっても楽しみだ。その頃お互いに何をしてるんだろうね!素敵な時間をありがとう」
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実は、ここに書かれたTが、現在のバイト先の上司。昨日、仕事が終わってまた三人で飲みに行った。

やっぱり三人集まると、自分の夢や目標の話、そして旅の話が多くなる。5年後に何処に行こうかと言う話になる。三人とも行ったことがない国がいいんじゃん?…となり…
「バングラデシュ(ワタシ)」「いや、昔行ったけど結構あそこはキツイ(T)」
「ラオス(ワタシ)」「あんまり興味ない(T、N両者)」
「南アフリカ(N)」「治安悪すぎ(ワタシ)」
「フィリピン(T)」「まったく興味湧かない(ワタシ、N両者)」
「モンゴル(T)」「はあ…(溜息ひとつワタシ、N両者)」
「南インド(N)」「うん、悪くない…(ワタシ、T両者)」
「シンガポール(T)」「興味ない!(ワタシ、N両者)」
「中国の奥地ウルムチとかシルクロードの方(ワタシ)」「いいねえ(T)]「行くのが大変そう(N)」
「イエメン(ワタシ)」「すっげーいい!(T、N両者)」
こうしてイエメンに決まりかけたところで…
「中央アジアも捨てがたいなあ」とTが呟く。「実はシルクロード行きたいなあ」ワタシが答える。「青の都ってどこだっけ」とT。「サマルカンドだよね、確か」とワタシが答える。「青の都見に行こうよ、三人で」とT。こうして、ウズベキスタンへ行くことに決まった。勿論、5年後の話。

三人とも、出会ったあの頃とは状況が違う。それぞれに夢と現実の狭間で奮闘している。道は違っても、共通することは「夢はあきらめない」ってこと。どんなにしんどくても、やり遂げること、逃げないことを自分に課してること。だからこそ、こんなにも会っていて、一緒に時間を過ごしていて楽しいし、話はいくらでも続く。

そんな彼らに出会ったころに撮ったエジプトの写真。それぞれがエジプトに向かっていたからこそ出会ったあの日。彼らに出会えたこと、一緒に旅が出来たその「運命」を、心から感謝している。

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二回目にエジプトに行った時、一回目のエジプト行きで友達になったエジプト人一家の家庭にホームステイすることになった。と言うのも、友達はホテルマンだったのだけど、二回目の訪問で彼の働くホテルに会いに行って、そのままそこへ滞在していると、ある日突然「荷物をまとめて!うちの家族が君を大歓迎だと言っているからうちに泊まればいいよ!」と言われた。

連れて行かれた彼の家は3LDKの典型的な庶民向けアパート。彼の弟とお母さんの三人で暮らす家。お兄ちゃんは結婚して別の家で暮らし、三人暮らしの家に、突然「娘」として招かれた。ところが、今思えばどうやってコミュニケーションをとっていたのか疑問だが、彼も弟も英語は少しだけ、ママにいたっては英語はゼロ、ワタシのアラビア語だって当時は最低限のコミュニケーションも取れるか取れないかのレベル。そんな中で暮らすのだから、さあ大変。おまけに、あまりこの一家には衛生概念が薄いのか、バス・トイレは壮絶、毎日お湯シャワーを浴びる習慣もない、ゴミは家の窓から投げる…等々、一般的な日本人の衛生概念からすると、かなり厳しい生活だった。それでも、一家の実の家族かのような温かさと愛情はたっぷり感じながら、普通のエジプトの暮らしを体験しながら日々が過ぎて行った。

ただ、言葉もあまり通じない者同士、長期間にわたる同居生活は徐々にしんどくなってくる。自分で予定を決められないし、家族の都合で日々のスケジュールが動いて行くし、好きなものを好きな時に食べられないし、一家が大笑いしているテレビ番組だってワタシにはつまらないし、誰だか分からない彼らの親せきの家を一緒に訪問するのも時にはしんどいし…。

「ごめん、しばらくこの家を出て旅に出てくる」ある日、友達に切り出した。日々の気持ちをうまく伝えられるほどにはアラビア語も喋れない、彼は英語が分からない。だから、理由として「行きたいところがあるから旅に出たい」とだけ言うのが精一杯だった。友達は「行きたいところがあるなら一緒に行こう。MESTは何処へ行きたいんだい?」と切り返してきた。ああ、少し一人になりたい…快適なホテルに戻りたい…自分のペースで時間を過ごしたい…そんな思いが頭を巡る。でも、ワタシの軽い不機嫌面を心配そうに覗きこむ友達の顔、MESTが望むどんな場所でも連れて行ってあげると豪語する友達の顔を見ていると、それ以上何も言えなくなった。

「じゃあ、エジプトの農村が見たい。畑を耕しながら暮らしている人に会いたい」

こうして、友達がカイロ近郊の農村で暮らす彼の友達の家に電話をしてくれ、案内をしてもらうことになった。外国人なんて一度も立ち寄ったことのない村、ワタシが行くと大騒ぎになった。ハワーガ(ガイジン)をひと目見ようと、集まってきた村人に囲まれながら、のんびりと畑を巡り、ナイル河で遊び、沈む夕日を眺めながら屋上でお茶を飲んだ。

自分一人では、決して出会えなかった村、出会えなかった人々。深く友達に感謝した。そんな思い出深い村エッサフ村の人々。

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ニュース番組で、まだ豚インフルエンザの感染者の出ていないエジプト政府が「外国人食肉向けに飼育している35万頭の豚を砂漠の無人地帯に移す」→「やはり、これらの豚を全頭処分する」と発表し、その声明に眉をあげながら「政府は初めていいことをした」なんて答えるカイロっ子のインタビューを観ていて、ああ実にエジプトらしいな…と、笑いがこみ上げてきた。

豚肉はイスラームではハラーム(禁忌)でイスラム教徒は豚肉を食べない。一説には、イスラームが広まる以前に十分に火を通さないで食べた豚肉による疫病が流行ったことが原因と言われている。確かに砂漠の宗教であるイスラーム、この地域で十分な燃料を確保することは、その時代には至難の業。当時はとても理にかなったものだったに違いない。そして、今でもイスラム教徒は絶対に豚肉は口にしないし、エジプトなどでは一般的に売られてもいない。

エジプトに留学している間に、一度も豚肉を食べられなかったワタシは、かつては西の育ち(一般的に西ではあまり豚肉を食べないんですよ。東京で肉うどんの肉が豚肉ですっげー驚いたし。トンカツ以外のメニューで食卓に豚肉が載ることは稀だったなあ)ゆえに、豚肉を食べられないことに何の渇望感も感じなかったけれど、さすがに1年も経ってくるとトンカツが食べたい、チャーシューが食べたい…。遂にはトンカツの夢まで見た始末(笑)。でも、これは貧乏学生ゆえ。ちゃあんと駐在員やお金に余裕のある外国人向けレストランなどにエジプトでも豚肉を供給していたわけ。

このたび、その豚たちが大量処分されると言う。多分大半の国民の「穢れたブタなんか飼ったり、食べたりしているバチが当たったんだ!」との深層心理や感情を意識しての措置なのだろう。インタビューに答えていた人のコメントにも如実にそれが現われている。「ブタのことなんて話したくもない」と言った表情とともに。

それにしても、エジプト政府のこの対応の素早さ。よほど支持率が下がっているのか、よほど舵取りが危ういのか…。何はともあれ、国民に突き上げをくらう前に先手必勝。この件を議題にのぼらせたエジプトの国会議員さんってのも…。

もう、すべてが実にエジプトらしくて、一人で笑ってしまったのである。

写真は、街中にある一般的な肉屋。97年ごろのアスワンでの写真。もっとも、売っている肉は羊・牛・鶏が中心。

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遺跡にも古代エジプトにも興味がなかった私がエジプトを訪れることになったのは、ほんの偶然。語学研修の短期留学プログラムの渡航先がたまたまエジプトだっただけ。

そんな国が特別な国なったのは、あの冬彼らと出会ったから。

彼らは、滞在するホテルの従業員だった。毎日仕事が終わって、宿題を見てくれたり、発音を直してくれたり、言い回しを教えてくれたり、生きた会話の先生だった。休みの日にはカイロ動物園へ行ったり、ナイル川で舟遊びをしたり、エジプトを身近な国にしてくれたのは彼らふたり。

帰国の朝、彼らは二人で手紙をくれた。
「MESTと過ごした日々は本当に楽しかった。神様のお陰で君に出会えた。僕らと僕らの家族が君の家族だから、いつでもエジプトに帰っておいで。ずっと、ずっとここで待ってるから」

そして、今のエジプトと私がある。彼らと彼らの家族のお陰で、エジプトと繋がる今の私が居る。

あの冬、彼らに出会わなかったら、エジプトは私の故郷にはならなかっただろう。彼らこそが、エジプトの本当の魅力を教えてくれた人たち。

さて、いよいよ今日、エジプトに向かいます!
行ってきます。

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エジプト里帰りのためのバックパックを探そうと、迷宮と化してる押入れを恐る恐る開けた。目当てのバックパックを探し出し(このバックパックは初めての海外デビュー、タイ以来何カ国を一緒に回ってきただろう…)、ふと昔のエジプトの写真が収められたアルバムが積み上げられていることに気付く。懐かしさがこみ上げ、つい手に取ってしまった。

出てきたのは、この約十年間に切り取ってきたエジプト写真のオンパレード。実家にあるものと思い込んでいたのに、こんな狭い家に、自分の傍に置いておきたかったんだ…。久しぶりに開いたアルバム。所狭しと書かれたコメント、青臭い写真、色の褪せたネガカラーのプリント、イマイチ図々しさが足りず被写体に寄り切れていない中途半端な自分の姿勢…。「へったくそだなあ」と苦笑いしつつも、そんな青臭い写真が懐かしくて、愛しくて。

今まで真剣に撮りためてきたスーフィダンスの写真も引っ張り出してしまったので、狭い部屋はアルバムだらけ!おまけに調子に乗って一時期真剣にハマってた中南米の写真まで引っ張り出してしまった!

もう、旅も目前。これからどれだけその青臭い写真たちをお見せできるか分からないけれど、でも、皆さんに見て、笑って、色々言ってほしいなあと思った。

今日の写真は、あの冬、初めて出会ったエジプトの光景。今とは少し違った視点。今より全然引き気味な…そう、普通の旅行者みたいな視点。これから、もっともっと、エジプトにのめり込んでいくことになろうとは知らなかった頃の視点。

あの冬、エジプトに出会っていなかったら、全然今とは違う自分だっただろう。今よりずっと味気なくてつまらない人生だっただろう。あの冬、この国で私の中の何かが変わった。

☆写真☆
1.シャイ(紅茶)のグラスが光輝いていた休憩時間の屋上
2.短期留学した学校の近所の教会(1996年クリスマスの日)
3.学校の中学生(私たちは中学校に間借りして学んでいた)
4.始めてみたピラミッドとスフィンクス

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