世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

カテゴリ: エジプト、パレスチナへの旅

あちこちまわってエルサレムに滞在中。

このブログでも何度か紹介している、数年前タバの国境越えの際に友達になって、一緒にエジプト革命の時期を過ごしたパレスチナ人の友達ラーエド。彼はエジプトでの学業を終えて故郷に戻り、夢を叶えて薬剤師として働いている。去年初めてラーエドと彼の故郷エルサレムで再会したときの感慨深さは忘れられない。

いま、そのラーエドの実家で彼の家族と過ごしている。

彼の実家がある東エルサレムは、イスラエル政府と入植者による住民追放がさかんにおこなわれている。自分の土地、敷地、家であっても勝手に許可なく増改築が許されない。それだけでなく、遺跡公園の整備や入植地建設等のために、土地の権利書などが無効だとかの因縁をつけられ、家屋が破壊され、追放されている。入植者による暴力は日常茶飯事。抵抗すれば軍や警察による弾圧が待ち受ける。ラーエドの弟ももう何年も刑務所に入れられたままだ。

ジェニンの難民キャンプでは、3カ月前に友達のひとりが殺されていたことを知らされた。彼をニックネームでしか呼んでいなかったワタシは、そのことに気づかないままだった。顔も頭部も血まみれになった友達の写真をジェニンの弟たちに見せられ、悲しくて、悔しくて、泣いてしまった。弟のカマールが「ミカ泣くな。ようやくこれでアイツは楽になれたんだから」とワタシに言った。その言葉の重みに、ますます涙が止まらなくなった。

ビリンでは、相変わらずの抗議と弾圧が続く。夜中に軍が侵入してくるのも相変わらずだ。リーダーのひとりアブダッラーは、昨日「抗議デモのさなかに軍用車の通行の妨害をした罪」で軍事裁判所から有罪判決を受けた。決して暴力的な行為に及ばない人々には、相変わらずの無理矢理こじつけな罪をかぶせてくる。

ハイファに友人で俳優のSaleh Bakriを訪ねた。彼は自宅に招き、手料理をつくってもてなしてくれた。有名な俳優になって、その言動に影響力をもった彼は、イスラエル政府による占領政策に異議を唱え、イスラエル政府が出資する映画にはもう金輪際出ないと演劇を通した闘いを続けている。彼の暮らすハイファは、多くの難民が発生した場所。ジェニンの難民キャンプに暮らす友人の多くがハイファを「故郷」にもつ。彼が車で案内してくれたのは、故郷に戻れない難民となった人々が暮らしていた廃墟となった古い家。とてつもない悲しみがハイファの町をつつむ。でも、まるでそんなことは何もなかったかのように、新しい町で「イスラエル人」が快適な暮らしを享受している。胸が苦しくなる。

パレスチナはオリーブ収穫の季節。砂埃にまみれながら収穫作業を手伝うのはハードなれども楽しい時間でもある。

一昨日、ようやくまとまった雨が降った。これから季節は秋、冬へと変わっていく。

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アンマンには、たくさんのシリア難民が暮らしていた。

ワタシが泊まった安宿には、従兄弟同士ふたりのシリア難民が部屋の清掃をしていた。話を聞くと、彼は東グータの出身だという。あの毒ガスが撃ち込まれた地区だ。毒ガス攻撃以前に彼らの一家はシリアを離れていた。しかし、内戦で家族二人を亡くしたという。

アンマンの街なかで、シリア人だけでなく、エジプト人にも多く会った。彼らは口々に「エジプトにはいま仕事がない」と言った。「革命」や「クーデター」の影響でエジプトの観光産業はズタズタ。多くの人たちが、アンマンに流れ着いていた。

出会ったヨルダン人の何人かは、「シリアから難民がたくさん流れ着いてきているせいで、俺たちの仕事がなくなった。彼らは安いカネで同じ仕事を請け負うから」と苦々しく言った。

夜、ホテルの近くのカフェでお茶を飲んでいると、ある子連れの男性に声をかけられた。このカフェの店員もシリア人で、その店員の友達だという。一緒に連れていた女の子を指さして「うちの娘がアジアのことが大好きなんだが、しばらくご一緒してもご迷惑ではないだろうか?」という。一緒に座ってもらって、娘さんの話を聞く。

どうやら、彼女は韓国ドラマをきっかけに、韓国人アーティストにはまっていて、日本人も韓国人も中国人も区別はつかないが、とにかくそのスッキリした東アジア人の顔(!彼女は本気でうらやましがっていた)が好きだ、という。「めちゃくちゃクール」と。

彼女は、父親のスマートフォンのなかにダウンロードしたたくさんの韓国人アイドルの写真を眺めながら、「ホンモノのアジア人に会えて嬉しい。一緒に写真をとってもいい?」

彼女は中学生だった。比較的経済的に余裕のある父親がシリア脱出を選び、アンマンに家を借りて暮らしている。ダマスカスの出身で一家全員で逃げてきたそうだ。「アンマンでの暮らしはどう?」と聞くと「学校に友達もたくさんできたし、楽しいよ」という。父親はそんな娘をなでながら、「でもお父さんはシリアに帰りたいよ。故郷のことを思うと、耐えられない」と涙をこぼした。

しばらくして、父子は家に帰ると席を立った。父子は何度も何度も振り返ってこちらに手を振った。姿が見えなくなるまで二人を眺めていたが、ギュッと握られた父子の手が、異国で生きていく彼らの心をあらわしているかのようだった。

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12月14日(土)16時半からは、西東京市芝久保公民館において
講座「平和を考える」をおこないます。

アフガニスタンやパレスチナや沖縄の人々の姿を通して、平和を考えるという
テーマのお話しです。

参加費無料、要申込。

空きがあれば、市外の方の参加もOKです。

詳細
http://www.city.nishitokyo.lg.jp/event/kyoiku/kouminkan/20131209.html

また、同館ロビーでは、パレスチナの新作ミニ写真展を開催中。

金曜日の今日は、タハリール広場での集会に参加する人の数も多く、盛り上がっている。ただ、さまざまな考えの人が集っているので、今日は乱闘騒ぎも起きている。

ダウンタウンを散歩した。

去年の革命以来、タハリール広場に向かう道のあちこちが封鎖され、検問所が設けられ、見知ったカイロの風景が変わってしまった。散歩をするにも通れない道が多く、迂回を繰り返す。

散歩をしていると、革命でなくなった犠牲者の顔が印刷された横断幕を掲げるデモ隊に出会った。

デモを通りで見守りながら、デモに参加しない一般市民は、携帯電話で動画を撮影したり、ボーっと見守ったりしている。

そう、テレビに映るタハリール広場だけがエジプトではない。一歩離れると、当たり前の人々の暮らしがあり、「デモもいいけど、もうみんな仕事に戻ろうよ。普通の暮らしに戻ろうよ」と言う人も少なくない。

次は大統領選。ムーサ元外相、ムスリム同砲団の候補者、サラーフィーンの候補者が有力候補だそうだ。

自由、公正、尊厳、みんながデモで掲げるそういうものが本当に守られる、エジプトになってほしいと心から願う。

もう十何回目のさようなら。また戻ってくるね。

革命一周年に沸くタハリール広場へ。

痴漢に遭うし(もちろんぶち殴る)、ポケットの中身を盗まれるし、散々な目に。でも、ある程度は覚悟のうえ。カメラが無事でなにより。

議会で第一党となったムスリム同砲団のひとたちが、広場の出入りを管理。平和裏にお祭りモードの一日。

写真はこちら。
http://www.facebook.com/media/set/?set=a.373297192684620.108993.100000130287150&type=1&l=be9f4b2a00

パレスチナでの全ての日程を終えて、エジプトのビザ取得の為に、エイラットの友人宅に滞在中。

彼女の職場の同僚のドゥルーズのひとから、とても興味深い話を色々と聞く。

占領地パレスチナで暮らす人々ももちろん大変だけど、イスラエル内に暮らすアラブ人達も、形を変えた占領の中で苦しんでいる。

ドゥルーズの彼らには、イスラエル人としての兵役義務がある。パレスチナで暮らす兄弟に銃口を向けなければ鳴らない。

明日は、いよいよ革命一周年を迎えるカイロに戻る。

本当に有意義な日々。

でも、パレスチナが恋しい。ジェニンの家族が恋しい。

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