世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

カテゴリ: パレスチナ 2013

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「パレスチナねこ歩き!」、こんなどーでもいートピックを選べるのも、とりあえずガザへの空爆が止み「停戦」となったからこそだ。一昨日の晩は気が気じゃなくて眠れなかった。「おまえが寝ようが寝まいが、俺がどれだけ気にしようがしまいが、そんなこととはまったく無関係にやられるときはやられるし、停まるときはときは停まる」と自嘲気味に西岸の友がワタシに言う。本当にそのとおりだ。やりきれなさと、どうにもできない苛立ちは、「同じパレスチナ人」である彼の方が何百倍、何千倍も大きいだろう。

思いつくことをランダムに書きなぐることをお許しいただきたい。

昨晩「停戦」と聞いたとき、ほっとした気持ちが一番先に来たが、でも「オオカミ少年」の話を連想して冷ややかな気持ちになったことも確かだ。「停戦」を破ったのは誰か?戦争をしたいのは誰か?イスラエル軍の空爆とハマースのロケットをまるで「対称」のように扱い、報道されるのはなぜか?ガーディアン紙が報じたように、ガザに潜入したイスラエル軍の特殊部隊員の将校は「殺された(killed)」とされ、その作戦遂行を援護するための空爆か交戦で殺されたとみられるハマースの戦闘員は「死亡した(died)」と表現されるのはなぜ?

さもハマースの飛ばすロケット弾に「報復」のために空爆をしたようなニュアンスの報道が続いたが、その「非対称性」とともに、封鎖を続け、占領にも最低限の法の順守が必要なことすらないがしろにしたまま、破り続けているのは誰か?ガザの漁師さんたちはなぜ海に漁に出ているだけで殺されなければならないのか?非人道的な封鎖が続いているのはなぜ?そんなことがアタマをグルグルまわる。

以前、難民キャンプのかーちゃんが「イスラエル軍も政府首脳も言うまでもなくクソだけど、若者たちの命を使い捨てにする『武装組織』の幹部たちもクソだ」と言ったその言葉が忘れられない。そして、その母親の言葉に反発する息子の「ハマースのような抵抗組織こそが唯一残された希望」という言葉も、彼の幼なじみたちの死も。死ぬとわかっていて「武装組織」の戦闘員として死んでいったハムザのことはことさらに。

難民キャンプの若者たちの「希望のなさ」については、拙著にも綴った。冗談ばかり言って笑っていたハムザが、その裏ではどれだけ苦しんでいたのか、収監されている「弟」も、「武装組織」の戦闘員としてお尋ね者になり長く収監されている「弟」の親友もしかり。

やっぱり、やりきれないね。

でも、この「やりきれなさ」を綴り続けるしかないのだろうと思う。あまりに希望が見えなくて、正直に言えば「もうなにもかも忘れたい」「違う世界(?そんなものどこにある?)に行きたい」とも思う。その繰り返しばかりだ。

そんなことを考えながら、やっぱり彼らの苦しみに思いをはせながら、あえて能天気なパレスチナのネコの写真を選び出してみる。ワタシのアタマのなかも、この文章と写真のギャップも、グチャグチャだ。でもそれが偽らざる姿なのだから仕方ない。

「停戦」したからって、彼の地の苦境はなにも変わらない。必要なのは封鎖の解除、占領の終了。それが言いたいこと。

写真はすべて2013年の写真。いま、次の本の出版を目指して、パレスチナで撮った写真のすべてを見返している。本の詳細は、もう少しハッキリした段階でお知らせします。お楽しみに。

ねこと言えば、うちのシロは今日も元気です。

追記
現地の報道では、今回のそもそものコトの始まり、ガザに潜入して(殺されたハマースのコマンダーを拉致する計画だったとも)作戦遂行中に殺されたイ軍特殊部隊のコマンダーも怪我を負った隊員もドルーズの兵士とのこと。何重にも複雑な思いがする。

言うまでもなくアラビア語を母語とするドルーズには兵役があり、しばしば最前線でパレスチナ人と対峙させられる。兵役拒否すれば自分が投獄される。

なかには「ユダヤ系ではない」という視線、部隊内での差別を跳ね返すため、進んで先頭に立ちパレスチナ人弾圧を担う人もいるし、ドルーズに限らずベドウィンやクリスチャンの志願兵やボーダーポリス含め職業軍人になる人もいる。彼らはその弾圧の現場の先頭で、「同じアラブ系じゃないのか?」「裏切り者」と罵倒、憎悪を一身に浴びている、そんな様子も目にしたことがある。それを指して「近親憎悪」とある人は言った。

分断を強いている者は高笑い。複雑な思いが増す。

空爆だけが犠牲をもたらすのではない。社会、人びとの分断もまた深刻な「犠牲」。

再追記
やりきれなさが増すのは、ハマースの飛ばしたロケット弾で亡くなったひとりは、ヘブロン出身のパレスチナ人「出稼ぎ」労働者の男性とのこと。

たいていイスラエル南部には迎撃システムやシェルターが完備されていて、犠牲者は多くは出ない。報道によると、亡くなった男性が入れるシェルターがなかったよう。

まるで「使い捨て」のような「出稼ぎ」労働者のこの犠牲。本当にやりきれなさが増す。

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昨日、久しぶりに開いたパレスチナの写真のフォルダーのなかにあった写真が、数年ぶりに記憶を呼び覚ましてくれたので、今日もランダムにフォルダーを開いてみることにした。写真集『ボクラ・明日、パレスチナで』と『それでもパレスチナに木を植える』におさめる写真の候補とならなかった写真の大多数は、その存在すらも忘れていることがある。あまりに膨大な数の写真。でも、写真をみた瞬間、そのときのことが鮮明によみがえることが多いから不思議なものだ。

今日は、拙著のなかでも繰り返し登場するビリン村の写真。でも、分離壁反対闘争やデモの場面でもなく、その背景として描いた村の暮らしの写真。そんな暮らしの様子も数多く写真でもエピソードとしてもご紹介してきた。

ビリン村で、分離壁建設予定地として奪われた土地が数年後に若干返還されて、その返還部分を所有していたアハマドは「昔ながらの土地に根差した暮らしに戻りたい」と、荒れ果てていたその土地に手を入れ、数年後、野菜などが収穫できるまでになった話は、拙著でもご紹介した。

「俺たちは基本的にみんなファッラヒーン(農民)なんだよ。大地に根差した昔ながらの暮らしを取り戻したい。土地があれば作物が実る。作物が実れば、それを糧に生きていける」という言葉が、深く印象に残っている。

だからこそ、ビリンの人びとは奪われた土地を取り戻す闘争に全力をかけているし、故郷の土地と切り離された難民キャンプの暮らしの基盤の脆弱さは、そんなところにも表れているような気がする。

そういうこともあるのだろう、パレスチナの壁画には土地に根差した暮らしをテーマにしたような壁画も数多くみられる。

話は変わり、難民キャンプのひとが農村の暮らしを懐かしみ、羨むことのひとつに「自家製のかまどで焼いた手焼きのホブズ(パン)」がある。ビリンやほかの農村から持たされた焼きたてのパンを持って難民キャンプに行くと「故郷では毎日自宅の庭に設えられたかまどでパンを焼いていた」と年配の方々は懐かしむ。

いままで数多くのパン焼き用のかまどやフォルン(オーブン)を見てきたが、これは傑作だなと思ったのが、今日ご紹介する写真のフォルン。ドラム缶を切って、下でたき火をくべて、上ではそのたき火で並べた石を熱して、石焼パンができあがる。これは、いざとなったら?真似したい。いや、いざとならなくても実家の庭で試してみたい。

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旅費や取材費、またオリーブの木を植えるための資金集めのために、プリントセールをおこなっております。

ポストカードセット(三枚組)600円+送料100円

そのほか、2Lプリント紙パネル入り(限定36セット)や、拙著『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』と写真集『ボクラ・明日、パレスチナで』に収められた写真のプリントも。そのほかの写真(ブログの記事のものも何月何日の写真とご指定いただければ可能です)も、可能な限り、ご希望に応じます。

A4プリント 2500円+送料360円(レターパックライト)
2Lプリント 1500円+送料180円(スマートレター)


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ご注文をお待ちしております。


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●『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)
店頭にない場合は、書店でご注文いただければ幸いです。
http://www.miraisha.co.jp/np/isbn/9784624411022

アマゾンからも購入できます。
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また、引き続き、下記の二冊の本のご注文もお待ちしております。

●『パレスチナ・そこにある日常』(未来社) 
版元の未來社のページ
http://www.miraisha.co.jp/np/isbn/9784624410919

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●写真集『ボクラ・明日、パレスチナで』(ビーナイス)
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ただし、この場合恐れ入りますが、本代と送料実費を頂戴します。

●写真集『ボクラ・明日、パレスチナで』に収められた写真のカード、Tシャツ、トートバッグをこちらからお求めになれます。
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また金曜日を迎える。本来ならばイスラム教徒の皆さんにとって金曜日は大切な休日。ワタシの友達にも普段はモスクへお祈りに行かないが金曜日の午後の礼拝だけは行くというひとも多い。みんなで一緒に礼拝をして、心身共にリフレッシュ。そして家族と昼食を囲み、家族を訪問し合って一緒に過ごす、それが金曜日の過ごし方。

一方、休日の金曜日だからこそ大きな抗議デモ、抗議集会になることも多い。金曜日だけがという訳ではないにしても、金曜日に抗議に参加していた人が殺されることが多い。いまに始まったことではないにしても、パレスチナの現地時間で午後が近づくと、段々落ち着かない気持ちになってくる。

イスラエルでは、ついに「パレスチナ人襲撃者」とみなされてユダヤ系イスラエル人が射殺された。それ以前にも同じく誤認で撃たれて怪我をさせられたケースや、先日は誤認でエリトリア人の青年が射殺された。「テロリスト」、もしくは「テロリスト」とみなされたパレスチナ人はその場で射殺されるが、このエリトリア人青年が撃たれたあと、血を流すまま横たわった彼を助けるどころかベンチを投げつけ、蹴りをいれと暴行に加わった群衆は、保釈金を払って釈放された。これが、この国の「民主主義」。

写真集「ボクラ」に収めた写真の紹介も、もう残り僅か。

今日ご紹介する写真は、ジェニン難民キャンプの居候先の「弟」、四男のサリームと甥のイマード。兄弟の父親が2002年のイスラエル軍侵攻の際に連れ去られ拷問を受けて体調を崩し、若くして亡くなったことは何度も述べてきたが、長男のカマールは、初めて誕生した我が子に、父親の名前を付けた。今年、カマールには第二子が誕生したが、その子には殺された幼なじみの名前を付けた。名前とともに、彼らの生前の思い出も受け継がれていく。

父親が亡くなり、たてつづけに難民キャンプの幼なじみたちが殺され、このころ、一家のわずかな希望は、この幼いイマードの存在と成長だけだった。父親の介護のため高校に行くこともできなかったサリームには、一日中肉体労働の現場で泥だらけになって汗を流す仕事しか、いまのところみつからない。危険な現場も多く、仕事中の事故で大けがを負ったこともある。彼は、まだ六歳だったころ、イスラエル軍兵士に脚を撃たれて大けがを負ったこともある。

サリームは、クタクタに疲れて帰ってきても、いつも笑顔で甥のイマードをあやしていた。イマードが一番機嫌がいいのはサリームの腕のなかにいるとき。子どもは、自分を愛してくれる人、そうでない人を敏感に感じる。

イマードはいまごろもう喋っているんだろうな。「ンマ」しか言えなかった彼は、いまごろみんなとどんな会話をしているのだろう。ワタシにとっての一年と、子どもたちにとっての一年の違い。最近、しみじみと人間は(も)受け継いで、引き継いで、次世代に譲りながら去っていくものなのだなと感じる。だとしたら、ワタシは誰に何を引き継ぎ、渡すことができているのだろうと、自省する。

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下記の通り、写真展「ボクラ・明日、パレスチナで」とスライドトーク「パレスチナに生きる人々」を開催することになりました。

いま、パレスチナでは、非常にひどい状況が続いています。いや、いまに始まったわけではないのですが。「目に見えやすく」ひどい状況が続いていると言った方が正確かもしれません。

パレスチナで生きる人々の置かれた状況、マスコミの報道からは伝わってこない現在を生きる人々の状況をお話しして、海辺のカフェで集いながら、私たちに何ができるのか、集う皆さんと考える時間が持てればいいなと思います。

写真展「ボクラ・明日、パレスチナで」
10月22日(木)~24日(土)お店の開店時間と同じ
入場料は必要ありませんが、必ず飲食オーダーをお願いいたします

スライドトーク「パレスチナに生きる人々」
24日(土)17時半から
投げ銭制(いくらでも結構ですので、お気持ちを頂戴します)

また、24日(土)16時半から、スライドトークの前には、なんとRabi Sariライブ!
応援のため、ご出演を快諾してくださいました。
アラブの音色に酔いしれる夕べを
こちらも投げ銭制

Rabi Sari メンバー紹介

常味裕司(ウード)

日本では数少ないウード演奏家。はじめスーダンのウード奏者、89年よりチュニジアで、アラブ世界を代表するウード奏者 故アリ・スリティ氏に師事、本格的にアラブ音楽を学ぶ。日本においてはアラブ・トルコ古典音楽を中心にソロ活動およびアラブ音楽アンサンブル Farhaや Arabindiaなどを主宰。

和田 啓(打楽器・作曲)
幼少の頃から学んだ江戸里神楽をもとに独自の音世界を表現をするアジア系ハンドドラム奏者。特にアラブ古典音楽において重要な位置を占める打楽器レク(アラビックタンバリン)は、エジプト・カイロで、ハニー・ベダール氏に師事。常味裕司とともにアラブ音楽アンサンブル「Farha」をはじめ様々な音楽シーンをサポートしている。また、作曲家として数多くの楽曲を舞台、舞踊、映画などに幅広く提供している。

松本 泰子(ヴォーカル・作曲)
幼少の頃より教会に通い聖歌に親しみ、ピアノのレッスンも受ける。’86年UCCジャズヴォーカル新人コンテスト特別賞受賞。90年を境に様々な民族音楽と出会い、ジャンルにとらわれず、歌うようになる。そして自らの作詞作曲によるオリジナル等も手掛けている。様々なシーン(コンサート、演劇やダンス公)においてボイスパフォーマンスを行い好評を得る。

※ライブ、スライドトークともに参加費は投げ銭制ですが、必ず飲食オーダーをお願いいたします

場所:鎌倉 由比ガ浜海岸 Daisy's Cafe
鎌倉市長谷2-8-11 江ノ電長谷駅より徒歩3分 国道134号線沿い
0467-23-9966

皆さまのお越しをお待ちしております

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先日からイスラエル人がイスラエル人を「パレスチナ人と誤認して」刺す、撃つという事件が続いているが、昨夜はついに南部ネゲブ砂漠の町ベエルシェバのバスターミナルで、イスラエル軍兵士を刺し、その銃を奪って銃撃した「容疑者」のパレスチナ人と誤認されて、何の関係もないエリトリア人の青年が射殺された。それだけでなく、ネットで公開された痛ましい映像では、撃たれて血を流し続ける青年を、蹴り、イスを投げつけ暴行する姿がとらえられている。

射殺された「容疑者」は、結局ネゲブ砂漠出身のベドウィン、アラブ系住民だと発表された。ネゲブ砂漠の遊牧民たちの集落も、破壊され、住民の追放が続けられている背景もひとこと付け加えておきたい。

いまイスラエルでおこなわれていることは、国家をあげたリンチであり処刑。出自や肌の色、宗教や「人種」が違うだけで、また違うとみなされただけで「容疑」の確認もなされず、捜査をする前に射殺するという恐ろしいことが起きている。

またエルサレムでは、東エルサレムの一部を新たな壁で封鎖し、これからエルサレムを東西に分け、東エルサレムのアラブ系住民の労働者以外は西に「入り込む」ことを制限しようという検討もなされている。この今まで以上にあからさまな「ゲットー化」を、「テロの波」を防ぐとの大合唱で躊躇なく進めようとしている。

ただ、こうした一連の流れをなんとか食い止めようと、二千人ものひとがエルサレムに集まり、「占領反対」「人種差別反対」「ユダヤとアラブは共存できる」などの声をあげたデモがあったことは、わずかな希望でもある。

いま、本来ならばパレスチナはオリーブ収穫の喜びの季節でもある。農家にとっては、一年に一度の大きな現金収入を得られる大切な季節。しかし、それを狙って、入植者たちが収穫直前のオリーブの木を焼き払うという事件も絶えることなく起き続けている。イスラエル軍兵士は、これを止めることなく黙認し、抗議のために集まるパレスチナ人を弾圧する。

毎年のことなので、こういうことを防ごうと、イスラエル人の活動家たちはボランティアでオリーブ収穫を手伝いながら、こういうことへの監視を続けている。決して大きな流れではないが、こういうイスラエル人も、またそれを笑顔で受け入れているパレスチナ人もいるということは、忘れたくない。

この写真はビリン村での「オリーブ収穫祭」。毎年十月におこなわれる。アラブ音楽のコンサートや、地元のチームによる伝統舞踊ダブカの披露などがある。

いつになったら、作物を育て、収穫し、それを祝って歌い、踊るという当たり前の日常が、誰にも邪魔されることなく送れるようになるのだろうね。

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下記の通り、写真展「ボクラ・明日、パレスチナで」とスライドトーク「パレスチナに生きる人々」を開催することになりました。

いま、パレスチナでは、非常にひどい状況が続いています。いや、いまに始まったわけではないのですが。「目に見えやすく」ひどい状況が続いていると言った方が正確かもしれません。

パレスチナで生きる人々の置かれた状況、マスコミの報道からは伝わってこない現在を生きる人々の状況をお話しして、海辺のカフェで集いながら、私たちに何ができるのか、集う皆さんと考える時間が持てればいいなと思います。

写真展「ボクラ・明日、パレスチナで」
10月22日(木)~24日(土)お店の開店時間と同じ
入場料は必要ありませんが、必ず飲食オーダーをお願いいたします

スライドトーク「パレスチナに生きる人々」
24日(土)17時半から
投げ銭制(いくらでも結構ですので、お気持ちを頂戴します)

また、24日(土)16時半から、スライドトークの前には、なんとRabi Sariライブ!
応援のため、ご出演を快諾してくださいました。
アラブの音色に酔いしれる夕べを
こちらも投げ銭制

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常味裕司(ウード)

日本では数少ないウード演奏家。はじめスーダンのウード奏者、89年よりチュニジアで、アラブ世界を代表するウード奏者 故アリ・スリティ氏に師事、本格的にアラブ音楽を学ぶ。日本においてはアラブ・トルコ古典音楽を中心にソロ活動およびアラブ音楽アンサンブル Farhaや Arabindiaなどを主宰。

和田 啓(打楽器・作曲)
幼少の頃から学んだ江戸里神楽をもとに独自の音世界を表現をするアジア系ハンドドラム奏者。特にアラブ古典音楽において重要な位置を占める打楽器レク(アラビックタンバリン)は、エジプト・カイロで、ハニー・ベダール氏に師事。常味裕司とともにアラブ音楽アンサンブル「Farha」をはじめ様々な音楽シーンをサポートしている。また、作曲家として数多くの楽曲を舞台、舞踊、映画などに幅広く提供している。

松本 泰子(ヴォーカル・作曲)
幼少の頃より教会に通い聖歌に親しみ、ピアノのレッスンも受ける。’86年UCCジャズヴォーカル新人コンテスト特別賞受賞。90年を境に様々な民族音楽と出会い、ジャンルにとらわれず、歌うようになる。そして自らの作詞作曲によるオリジナル等も手掛けている。様々なシーン(コンサート、演劇やダンス公)においてボイスパフォーマンスを行い好評を得る。

※ライブ、スライドトークともに参加費は投げ銭制ですが、必ず飲食オーダーをお願いいたします

場所:鎌倉 由比ガ浜海岸 Daisy's Cafe
鎌倉市長谷2-8-11 江ノ電長谷駅より徒歩3分 国道134号線沿い
0467-23-9966

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昨夜、七日ぶりに広島を一緒に旅したムスメに会った。オヤの売り上げをお母さんに届け、ムスメには「写るんです」で撮った写真を届けるため。先週注文したフォトブックは間に合わなかった。友人であるムスメの父母夫妻は友人の家に食事をお呼ばれに出かける約束があり、長女も三女も一緒に行くとのこと。次女のムスメにたずねると「私は行きたくない。お母さんがミカさんが好きなチーズのキョムベ作ってくれたから一緒に食べよう。あと映画も観ようよ。ゆっくりして行ってよ」と、広島の日々の再来。ふたりでいろいろ話をしながら夜を過ごす。広島の旅、本当に楽しかったそうだ。初めてのことがいっぱいだったと。ムスメのホンモノのお母さんが、うちの広島の母に「お世話になったお礼に」と、手作りのクルドパンツをくれる。これ、シルエットがかわいいんだよなあ。「クルドでは畑仕事のときもこれを履いて畑に出る。ミカさんのお母さんにも、畑仕事に履いてもらって」と。

いま、シリア難民やアフリカ大陸北部から地中海を渡る難民、移民が命を落とすケースが相次いで報じられている。根本的な内戦や飢餓や紛争の解決なしには済まされない。しかし、目の前に、世界の無関心のために失われようとしている命があるのに、放置することは許されないと思う。難民になることは不幸なことだが、難民となって、その後の人生をどう生きるかによって、幸せにもなり得る。辛かった過去を消すことは出来なくても、よりよい人生をその後の環境によっては得ることができるかもしれない。そして、同時にいま難民となっている方々だけでなく、日本のなかにも当たり前の権利もなくひっそりと生きている難民(認定の有無にかかわらず)の方々のことも考えてほしいと思う。世の中の数百万人を助けることができないことに思い悩み、何もしないより、目の前のたったひとりの誰かのためにできることを探して行動していきたいなと思う。大したことができないことは、百も承知であっても。

さて、これから夜行バスで盛岡に行ってきます。昨年の三月に涙の別れを経験したツシマヤマネコのトラジロウに会いに行って、半年ぶりの宮古へ。

今日の写真は、ビリン村のご長寿夫婦、アブーハーニー(ビリン村の男性のなかで最高齢)とインムハーニー夫妻。うちの居候先、アブーラハマ家の二件となりの家に住む夫婦で、アブーラハマ家の5兄弟次男ムスタファの奥さんサブリーンのおばあちゃんにあたる。ちなみに、ムスタファ夫妻の馴れ初めは、隣村に暮らすサブリーンが、おじいちゃん、おばあちゃんを訪ねて来ていたとき、たまたまムスタファがこの家を訪ね「結婚したい!」と思ったのがキッカケだそうな。

インムハーニーは、いまでも伝統工芸品をつくるのが得意で、いまでも元気にせっせせっせと作っている。元気なおばあちゃん。

福山での写真展は、引き続き7日まで開催しております。

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写真展「ボクラ・明日、パレスチナで」
日時:8月25日(火)~9月7日(月)
   10時~19時

場所:福山市中央図書館まなびの館ローズコム
   1F展示コーナー
   福山市霞町1-10-1


入場無料
http://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/soshiki/chubushogai/1823.html




「ボクラ」のプロデューサー石塚さんのお店ビタミンTeeにより、「ボクラ」に収められた写真のすべてがTシャツにもトートバッグにもなります。
(サイズや値段など詳細はおたずね下さい)
http://www.vitamin-tee.jp/


大好評!!!ビタミンTeeより「ボクラ」の図柄の新商品、グリーティングカード登場!
http://www.vitamin-tee.com/boyaki/2015/07/29/81.html


「パレスチナ・そこにある日常」(未来社)のご注文もお待ちしております。
アマゾン
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%83p%83%8C%83X%83%60%83i%81E%82%BB%82%B1%82%C9%82%A0%82%E9%93%FA%8F%ED&x=10&y=21

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