
今年は経由地でカブール行きの飛行機に乗り込むと、駐機場からいつまで経っても動かない。「機材のトラブル」「受け入れ側の不具合」などなど、数時間もジリジリと時間が過ぎ行くのに満足な説明もない。周囲の圧倒的大多数はアフガン人の乗客。彼らが現地の家族や友人などと電話で話しているのが聞こえてくる。「戦闘」「交戦」「爆弾」「テロ」などの単語が飛び交っている。どうやら機体の不具合や受け入れ態勢がどうこうではなくて、カブールで戦闘または爆破があり、安全確認が取れないためにカブールに向けて離陸できないらしい。
みんな不思議なほど落ち着いている。騒ぐでもなく、文句を言うでなく、淡々と状況の変化を待ち続けている。でも、とうとう三時間ほど経って「会社として安全の保障ができないのでフライトはキャンセル」ということになった。
乗り込んだ飛行機からむなしく順に降り、荷物も返してもらえないまま、着の身着のままで航空会社が用意したホテルへ。朝ホテルを出て、出国して、飛行機に乗り込んで、フライトがキャンセルになってまた入国。搭乗前に某免税店でTシャツを二枚買ったので「今日は空港にTシャツを買いに行きました!」と無理に笑ってみる。不穏だ、不安だ。どれだけ交渉しても歯ブラシと歯磨き粉以外はなにも貰えなかった。「なにがあるかわからないから、最低一泊分くらいは手荷物へ」とはよく聞いていたけれど、あれホントなんだなあ。馬鹿なワタシは持病の薬すら持っていなかった。化粧水や乳液や化粧品などはもう言うまでもない。
翌日は、拍子抜けするほどあっさり飛んだ。カブールの町中も一見なにごともなかったかのようだった。でも、そんなものなのだ。なにがあろうと、ひとの営みは続いていく。
「山の学校」や生徒たちが暮らす山に向かってみると、ますますその思いが強くなった。国の状況は本当に悪く、爆弾テロも多く、不安定な地域もどんどん増えている。しかし、子どもたちは元気で、学校では笑顔があふれていて、夢に向かって懸命に学び、歩む卒業生の姿があって、その次の世代の子どもたちもどんどん成長を遂げている。
元ムジャヒディンのホラム先生。結局地元に戻って教師になった。ほぼ自給自足の村で教師をしながら、それだけでは生活ができないので懸命に畑を耕す。
ホラム先生の背中を見ながら育った四女のマリナは、一家の姉妹のなかで初めて高校を卒業した。歩いて片道二時間かかる高校に通いとおした。そして成績優秀だった彼女は大学にも合格し、教師をしながら大学に通う。「父が私たちにしてくれたように、今度は自分が地域の子どもたちを導いていきたい」と話したマリナとそれを横で聞いていたホラム先生の姿は忘れられない。
ホラム先生の末っ子の四男ワリも、すっかり大きくなった。いまでは末っ子らしく甘やかされているのかやんちゃ坊主炸裂。つい数年前までは揺り籠で揺られていたのに!それを言うなら、マリナだってそうだ。初めて会ったときは小学三年生だった。窓から風で揺られる鉢植えの花を眺めていた横顔が忘れられない。
「おおきな」ことをみつめすぎると、困難や絶望的な状況ばかりが目についてしまう。でも、ひとりひとりの生きる姿、夢に向かって歩む姿、「ちいさな」日々の営みをみつめていると、そこには希望が感じられる。
そういうことを、忘れないようにしたい。「ちいさな」日々の営みを大切にしたい。
写真はホラム先生の家の末っ子のワリ。もう5歳だって。早いなあ。
アフガニスタン山の学校支援の会
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