
昨日、ヘブロン在住のパレスチナ人二ザール・バナートさんがパレスチナ自治政府の治安部隊に連行される際に暴行を受け、殺害された。二ザールさんは、元々はファタハに所属するメンバーだったが、自治政府首脳や高官の汚職や腐敗、自治政府の治安部隊とイスラエル軍(つまりイスラエル政府と自治政府)の「セキュリティコーディネーション(治安の共同維持)」にも反対をしていて、自治政府批判を続け、これまでにも8回も自治政府警察に「逮捕」され、数々の脅しを受けていたと弁護士や家族が証言する。
「セキュリティコーディネーション」は、簡単に言えば、自治区内でイスラエル軍の占領政策の手足となって占領の片棒を担ぐこととしか言い様がない。「セキュリティ」は誰のためのもので、何から誰を守るのか?それはパレスチナの人民を守るためのものではなく、「セキュリティ」とは人びとの「安全」を意図しない、意味しない。
政府をいくら批判しようとも、どんな思想信条であろうとも、それが殺されていい理由には絶対にならない。これは暗殺、密殺としか言いようがない。「イスラエル対パレスチナ」なんていう、そんな単純な構図ばかりを信じないでほしい。イスラエルにもパレスチナにも自国政府や当局に弾圧を受けながら自由と尊厳のために闘っているひとがたくさんいる。そんな単純な構図だけが、何重もの闘いを強いられている人びとを苦しめているのではない。
確かに、自治政府首脳や高官のなかにも、このような現状を憂い、本気でどうにかしなければならないと考えているひともいるだろう(と信じたい)。このような「自治」も「治安維持」も、なんらパレスチナの人びとの希望を意味しないし、こんなことのために「パレスチナ解放」を掲げて闘ってきたのではないはずだ。強大な占領者という圧倒的なチカラに首根っこを押さえられ、従わされ、利用され、強いられる屈辱的な「占領の片棒担ぎ」「占領の下請け」に、表立って声をあげられないまでも(声をあげればたちまち自分が弾圧される側になることは、きっと彼らが一番よく知っている)、「その時期」をじっと待っているひともいるのだろうと思う。その背後にいる占領者という強大なチカラこそがより責められるべきで、「利用される弱さ」を批判することは、「弱い自分」を自覚するだけに正直言って辛い。「そうだよな、自分が生き残るためにはそうするしかないのかもな」と流されそうになる。「そうこうしてるうちに、旨味を知って引き返せなくなっちゃったんだろうな」と思いたくもなる。
でも、そうやって批判を手控えることが、二ザールさんを殺し、バーセルを殺されるまでに追い込み、何度もイーサを逮捕・弾圧させている原因となっているのだ。それだけでなく、そんな上記のような甘っちょろい「同情」や「理解」など通用しない、本当に自分たちの利得や利権のために、民衆のことなど何も考えておらず、人びとの命を「使い捨てて」いる本物の悪が存在するのだろう。ワタシは、何に関しても甘っちょろすぎる。
このひと月ほど、空爆が終わって「停戦」になり、向けられる注目も寄せられる関心も、反応もまたグッと少なくなった。
イベント主催者の高山さんは、「こんなとき(つまり、空爆で注目が集まっているとき)」にイベントを企画する内心の葛藤を【主催者から】の文章として語っていたが、「停戦」になりひと月、もはや高山さんの葛藤がまるで「通用しない」ほど、人びとの関心は消え去っていった。残酷なほど正直な、たったひと月という時の流れ。
「空爆が終わればまた世界の無関心が戻ってくる。空爆前と何も変わっていないのに。何ひとつ良くなったこともないのに。その無関心を前にすると絶望的な気持ちになり、いっそのこと空爆されていた方がマシなんじゃないか、少なくとも世界に目は向けてもらえると思ってしまう時がある」と2014年の空爆後の関心が薄れてきたときに、ガザ在住の当時の知人にそう言われた。あれから7年。ワタシたちは何も変えられていないし、変えようともしていない。7年前に返す言葉もなく胸に刺さった言葉が、今この時の言葉だといわれても不思議ではないくらいに、何も変わっていない。
「停戦」になっても、ガザへの封鎖は続いているし、西岸地区には入植地が現在進行形で造られているし、それに反対すれば殺されるし、東エルサレムやヘブロン郊外やヨルダン渓谷などでは家屋の破壊と住民追放が続けられているし、このひと月のあいだにも、たくさんの殺人と人権侵害が「政府」という占領者の名のもとに堂々と続けられているのに。
そして、イスラエルからの弾圧と抑圧だけでなく、自治政府を批判する二ザールさんの命は奪われた。こんなことは、ずっと続いているのに。
二ザールさんの死を忘れない。闘って死んでいったみんなの遺志を絶対に忘れない。命がけで訴えてきた彼らの思いや人生を「なかったこと」にされてたまるか。
その一心だけで、悔し涙にくれながらイベントの準備をする。できることを続けていくしかないから。どれだけ虚しくて、もうたくさんだと言いたくても。いつでも「止めて」「逃げられる」自分の自由を思いながら。逃げたくても逃げることもできないパレスチナのみんなのことを思いながら。
写真は、東エルサレムのシュアファット難民キャンプの検問所。この難民キャンプは東エルサレムにありながら、併合された東エルサレムの他地域と切り離すため(要するに難民人口の多いここは要らないってこと)に、分離壁に囲まれ、検問所で切り離され、コントロールされている。子どもたちが学校などに通うのも毎日この検問所を通らなければならない。住民はキャンプの外に出たければ(通勤、通学、買い物など日常的な用事を済ませに)、この検問所を通ることを強いられる。
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7月4日(日)16時からの有料オンラインイベント
(zoomで開催予定、後日Youtubeでの視聴可能の予定)
「パレスチナを考える」
お申し込みはこちらのサイトより(またはM.A.P.へお電話を)
高橋美香と「パレスチナを考える」―よんたま沖縄映画祭・特別企画 | Peatix
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