世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

カテゴリ: パレスチナ 2018

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昨日、ヘブロン在住のパレスチナ人二ザール・バナートさんがパレスチナ自治政府の治安部隊に連行される際に暴行を受け、殺害された。二ザールさんは、元々はファタハに所属するメンバーだったが、自治政府首脳や高官の汚職や腐敗、自治政府の治安部隊とイスラエル軍(つまりイスラエル政府と自治政府)の「セキュリティコーディネーション(治安の共同維持)」にも反対をしていて、自治政府批判を続け、これまでにも8回も自治政府警察に「逮捕」され、数々の脅しを受けていたと弁護士や家族が証言する。

「セキュリティコーディネーション」は、簡単に言えば、自治区内でイスラエル軍の占領政策の手足となって占領の片棒を担ぐこととしか言い様がない。「セキュリティ」は誰のためのもので、何から誰を守るのか?それはパレスチナの人民を守るためのものではなく、「セキュリティ」とは人びとの「安全」を意図しない、意味しない。

政府をいくら批判しようとも、どんな思想信条であろうとも、それが殺されていい理由には絶対にならない。これは暗殺、密殺としか言いようがない。「イスラエル対パレスチナ」なんていう、そんな単純な構図ばかりを信じないでほしい。イスラエルにもパレスチナにも自国政府や当局に弾圧を受けながら自由と尊厳のために闘っているひとがたくさんいる。そんな単純な構図だけが、何重もの闘いを強いられている人びとを苦しめているのではない。

確かに、自治政府首脳や高官のなかにも、このような現状を憂い、本気でどうにかしなければならないと考えているひともいるだろう(と信じたい)。このような「自治」も「治安維持」も、なんらパレスチナの人びとの希望を意味しないし、こんなことのために「パレスチナ解放」を掲げて闘ってきたのではないはずだ。強大な占領者という圧倒的なチカラに首根っこを押さえられ、従わされ、利用され、強いられる屈辱的な「占領の片棒担ぎ」「占領の下請け」に、表立って声をあげられないまでも(声をあげればたちまち自分が弾圧される側になることは、きっと彼らが一番よく知っている)、「その時期」をじっと待っているひともいるのだろうと思う。その背後にいる占領者という強大なチカラこそがより責められるべきで、「利用される弱さ」を批判することは、「弱い自分」を自覚するだけに正直言って辛い。「そうだよな、自分が生き残るためにはそうするしかないのかもな」と流されそうになる。「そうこうしてるうちに、旨味を知って引き返せなくなっちゃったんだろうな」と思いたくもなる。

でも、そうやって批判を手控えることが、二ザールさんを殺し、バーセルを殺されるまでに追い込み、何度もイーサを逮捕・弾圧させている原因となっているのだ。それだけでなく、そんな上記のような甘っちょろい「同情」や「理解」など通用しない、本当に自分たちの利得や利権のために、民衆のことなど何も考えておらず、人びとの命を「使い捨てて」いる本物の悪が存在するのだろう。ワタシは、何に関しても甘っちょろすぎる。

このひと月ほど、空爆が終わって「停戦」になり、向けられる注目も寄せられる関心も、反応もまたグッと少なくなった。

イベント主催者の高山さんは、「こんなとき(つまり、空爆で注目が集まっているとき)」にイベントを企画する内心の葛藤を【主催者から】の文章として語っていたが、「停戦」になりひと月、もはや高山さんの葛藤がまるで「通用しない」ほど、人びとの関心は消え去っていった。残酷なほど正直な、たったひと月という時の流れ。

「空爆が終わればまた世界の無関心が戻ってくる。空爆前と何も変わっていないのに。何ひとつ良くなったこともないのに。その無関心を前にすると絶望的な気持ちになり、いっそのこと空爆されていた方がマシなんじゃないか、少なくとも世界に目は向けてもらえると思ってしまう時がある」と2014年の空爆後の関心が薄れてきたときに、ガザ在住の当時の知人にそう言われた。あれから7年。ワタシたちは何も変えられていないし、変えようともしていない。7年前に返す言葉もなく胸に刺さった言葉が、今この時の言葉だといわれても不思議ではないくらいに、何も変わっていない。

「停戦」になっても、ガザへの封鎖は続いているし、西岸地区には入植地が現在進行形で造られているし、それに反対すれば殺されるし、東エルサレムやヘブロン郊外やヨルダン渓谷などでは家屋の破壊と住民追放が続けられているし、このひと月のあいだにも、たくさんの殺人と人権侵害が「政府」という占領者の名のもとに堂々と続けられているのに。

そして、イスラエルからの弾圧と抑圧だけでなく、自治政府を批判する二ザールさんの命は奪われた。こんなことは、ずっと続いているのに。

二ザールさんの死を忘れない。闘って死んでいったみんなの遺志を絶対に忘れない。命がけで訴えてきた彼らの思いや人生を「なかったこと」にされてたまるか。

その一心だけで、悔し涙にくれながらイベントの準備をする。できることを続けていくしかないから。どれだけ虚しくて、もうたくさんだと言いたくても。いつでも「止めて」「逃げられる」自分の自由を思いながら。逃げたくても逃げることもできないパレスチナのみんなのことを思いながら。

写真は、東エルサレムのシュアファット難民キャンプの検問所。この難民キャンプは東エルサレムにありながら、併合された東エルサレムの他地域と切り離すため(要するに難民人口の多いここは要らないってこと)に、分離壁に囲まれ、検問所で切り離され、コントロールされている。子どもたちが学校などに通うのも毎日この検問所を通らなければならない。住民はキャンプの外に出たければ(通勤、通学、買い物など日常的な用事を済ませに)、この検問所を通ることを強いられる。

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7月4日(日)16時からの有料オンラインイベント
(zoomで開催予定、後日Youtubeでの視聴可能の予定)
「パレスチナを考える」

お申し込みはこちらのサイトより(またはM.A.P.へお電話を)
高橋美香と「パレスチナを考える」―よんたま沖縄映画祭・特別企画 | Peatix

主催者のブログ

パレスチナを考えよう! | M.A.P.after5 (fc2.com)

イベントのFBページ
高橋美香と「パレスチナを考える」 | Facebook

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昔から、なにかを考えすぎると眠れなくなったり、悪夢を繰り返しみたりということがひどくて、ここ数日「そういうフェーズに入った」のだなと、グッタリしながら目を覚ます。そう、多分7月4日(日)のイベント「パレスチナを考える」のことを考えすぎている。そして、思うように進まないパレスチナについての原稿のことも考えすぎている。

もとがトコトン不器用な人間なので、全然違うテーマならともかく、同じパレスチナというテーマでふたつを同時に「形作る」のはとても難しい。考えてばかりで進まないし、進めたそばから「なんだか違う」と壊したくなる。

最近、自分の思いをシックリくる言葉で表すことが難しいと感じる。これは「写真を撮っていない」証拠だ。言葉ばかりを使って表現しようとするからこうなる。今度のイベントの主催者であるM.A.P.の高山さんはワタシを指して「高橋美香にいい肩書はみつからない。高橋美香に肩書は似合わない」と評すが、やはりワタシは写真を撮ることが一番好きだし、たとえ「力不足で一枚の写真でなにかを表現することができていない」のだとしても、そのことに挑み続けていたいと思う。だから肩書が必要な場合は自分では「写真家」を名乗る。なのに、最近自分のテーマやライフワークとしての写真を全然撮っていないんだよな。

スライドトークをすると、「細かいことまでよく覚えているね」と言われることがある。それは、写真のおかげだ。その写真をみると、瞬間にそのときのことがよみがえる。空気感やにおいまでも思い出すことがある。匂いを嗅いだ瞬間にその匂いに関連付けられた思い出の瞬間がよみがえるように。感覚ってすごいものだと思う。ワタシは、そんな「感覚の人間」なので、数字(出来事の年号とか数とか)をきちんと把握したり、順番をきちんと理解したり、物事を筋道立てて考えたりすることがとても苦手だ。おそらく、苦手というよりも本来欠けているものが、訓練もされないで(しないで)ごまかして生きてきたゆえに、身につかなかったのだろうと思う。

だから、「パレスチナの歴史をわかりやすく解説して」などと言われるとパニックになる。自分がそんなこと分かっている気もしないし、他人様に説明できる気もしない。自分が撮った写真を用いないとなにも喋れる気がしない。

苦手なことに固執するよりも、苦手なことは任せてしまおうというわけで、今度のイベントでも高山さんが参加者のみなさまに事前に「パレスチナ入門講座」を用意する予定です。

あんまり自分の分を越えていることや、苦手で克服できそうもないことや、そんなことに引きずられて自分を見失うのやめようと思う。そう言うと「苦手なことから逃げるなよ、挑戦心が足りない」と叱咤されるのだろうけど。確かに、そうかもしれないんだよなあとは思いつつ。

どうも、自分が「伝えるべきこと」や「なにが求められているのか」など、勝手にひとりで考えすぎて自分を見失いかけているので、自省のために記してみた。

写真は、東エルサレムでシェイクジャラと並んで当局による家屋の破壊、住民追放や接収などが続けられているシルワンにて撮影。

7月4日(日)16時からの有料オンラインイベント
「パレスチナを考える」
主催者のブログとFBページ

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高橋美香と「パレスチナを考える」 | Facebook

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7月4日(日)の16時から「パレスチナを考える」と題した有料オンラインイベントが開催されることになりました。

主催は、数々のワタシの報告会やパレスチナから持ち帰ったドキュメンタリー映画の上映などでお世話になり、挙句の果てに?「喜多見と狛江の小さな映画祭+α」まで一緒にやることになった仲間でもあるM.A.P.のおふたり。

ワタシが実行委員を抜けたあと映画祭はどんどん事務所がある地元の狛江や喜多見のみなさまとのコラボにより発展して、現在は「キタコマ映画祭」として継続中。その発展形のひとつとして「よんたま沖縄映画祭」があり、さらにその「よんたま沖縄映画祭」の緊急企画として「パレスチナを考える」が催される(のだと思う、間違ってたらすみません)。

その「パレスチナを考える」で、なにを話し、みんなで考える材料とするのか、考えすぎて煮詰まり気味である。パレスチナのことは毎日考えている。アホみたいに暇さえあれば考えている、思い出している。そうやって自分が毎日暇さえあれば考えていることを、どうすればうまく伝えられるのだろう。

まだ詳しい打ち合わせもできていないので、あくまでも自分のアタマのなかで考えているだけではあるが、写真を使ってお話しするのは、
・シェイクジャラとエルサレムのこと(このことが先日のロケット弾と空爆につながったことも含めて)
・ベイタで進められる入植という名の土地強奪と殺人のこと(ビリンとアルワラジャの闘いの例を用いながら)
・難民と呼ばれる人々(「落穂ひろい」の意味から考える)
・4月に殺されたオサマ・マンスールさんのこと(占領の現実とその意味を考える)
を考えている。

イベントの詳細や、参加のお申し込み方法などは、下記をご覧ください。
まだ、お申し込み方法の詳細は発表されていませんが、おそらく近日中に情報更新されると思います。

FBイベントページ
高橋美香と「パレスチナを考える」 | Facebook


主催者のブログ
パレスチナを考えよう! | M.A.P.after5 (fc2.com)





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国連人権理事会がパレスチナ(グリーンラインの両側とのことなのでイスラエル領含む)での権利侵害、不法行為についての調査団を設立することを採択。占領にも守るべき法があるのに、占領者自体が不法行為をおかしている現状(軍に調査されているともなんとも続報も出てこないが、オサマさんが理由もなく検問所で兵士に殺されたような事件は多発している。残念ながら調査対象外のようだが)では、完全に独立した公正な第三者による調査は必須。

初めてパレスチナに行ったかれこれ20年ほど前、難民キャンプの学校見学に行ったとき、学校の先生が「授業で子どもたちに人権の概念を教えている。でもどうしてパレスチナ人の人権は守られないのか?と子どもたちに問われる」とおっしゃった。子どもたちは、ダブルスタンダードに傷ついている、ずっとずっと。守るべき理想も概念も、すべてのひとに平等に適用されるべきであることは、言うまでもない。

冷徹な力関係のある国際政治では、理想がまかり通らないことは、もうさんざん嫌になるほど見てきたし、知ってはいるけれど、それでも自分が国籍を持つこの国が、誰に遠慮(言うまでもないな)してか、なにを忖度してか、この大切な決議に賛成でも反対でもなく、棄権と投じたのは、本当に情けないことだと思う。

明日は、友達の主催で「ビサンで食べて応援」第一回を開催。お兄さんを殺されたスドキさんを元気づけること、お店で「食べて応援」することでお店にお金を落とすこと、オサマさんの事件を忘れずに語り続けること、ニュースにもならなくなったパレスチナのことを語り続けること、とにかく、できることを続けていくために、とりあえずリハーサルのような第一回目を開催。お店を貸し切りにしてもらい、メニューにない特別コース料理を用意してもらい、パレスチナの映画をみんなで観るという静かな会。(今後参加をご希望の方は、ぜひご一報ください。ある程度の人数が集まる見込みがあれば開催できます)

そうそう、現在視聴申し込み受付中のスライドトーク映像『難民キャンプに生きる』をご視聴くださった方からご感想をいただいたので、ご本人の許可を得て公開します。同じような疑問やご感想をお持ちの方にもご参考になればいいなと思いました。拙著やスライドトークを未読未見の方には「なんのこっちゃ」ですみません。

★Bさんのご感想とワタシの返事

・「遠い過去よりユダヤ人にパレステナの土地が侵略されているのはわかりました。」
について
(高橋の返事)
ユダヤ人が侵略しているというのは必ずしも正しい訳ではなくて、正しくはシオニストが侵略しています。そのシオニストの中にユダヤ人のシオニストもいるということです。ユダヤ人のなかでも、シオニズムに反対をしている人、神が望み給うときにユダヤ教徒(ユダヤ人)は「約束の地」(現在のイスラエルやパレスチナ自治区など、範囲の解釈は様々)に帰還するべきであり、人為的に無理やりイスラエル国をつくり、帰還するのは神の意志に反するとして、反対しているユダヤ教徒などもたくさんいます。
※補足※
世俗派のユダヤ人(イスラエル人も外国籍の人も含む)で侵略に反対しているひとの存在や、その「侵略」とはどの範囲を侵略というのかなど、この点はとても一文で書き表すことができないテーマなので、この場では割愛。一国家のなかで完全に平等な権利を持つ市民として共存をという考えのひともいれば、オスロ合意に基づき定められたパレスチナ自治区(東エルサレム含む)への「侵略(入植含む)」には反対といういうひともいる。

上記で言いたいのは、「イスラエル人=ユダヤ人=シオニスト」では決してないということの一点。そこを分けて考えないと、話がメチャクチャになる。ひとによって考えも立場も様々。「パレスチナ人=ハマース支持=テロリスト」では決してないのと同じこと。

・「同じパレスチナでも歓迎される場所(人)、歓迎されない場所(人)があるということも知ることができました。私のような第三者の勝手な解釈で歓迎されるのだろうな…という思い込みはあった。」
について
(高橋の返事)
歓迎される場所や人がある、というよりも、その姿勢が問われていたのだと、私は理解しています。虐殺は住民の心の傷だったのに、ヒョッコリのこのこと現れて「話を聞かせて」なんて、無神経でどれだけ傷をえぐることなのかと、いまの自分にはわかります。そのときは、思い上がっていたのだと思います。自分が無意識に掲げる「伝える使命」に思い上がりがあったのだと。その後、難民キャンプに「家族」ができて、再び「家族」と一緒に、同じハワーシーン地区に住む家族の友人を尋ねました。当時、お兄さんをふたり殺された妹から話を聞きました。結局、そういう丁寧な関係づくりが大切なのに、それができていなかった、自分が招いたことです。

・「殉教者について泣いてはいけない天国に行くのだから、とはイスラームの教えの中で善行(故郷のパレスチナを取り戻す行動)したということなのでしょうか。若者が貧しさと絶望でやることを見いだせなくなり戦闘員になってしまう......という話は以前に聞いたことがありましたが現実にそのような状況なのですね、悲しい悪循環が止まらないということも。」
(高橋の返事)
すべてのことは神が定められたこと、神の御意志であるから、泣くなというのは(たとえ、タテマエであっても)よく言われます。そのように考えないと、信じないと、辛すぎて前に進めないのだと理解しています。

・「そして生きるための仕事は全世界共通だけれど、抑圧されたなかでの生きるための仕事はそれと全く違いますし、仕事も辛いだけでなく明るく出来る事もあるのにその光景を辛いだろうな、苦しいだろうなと傍観している私自身は結局のところ他人事とという現実がありどう反応してよいかわからなくなります。バンドゥーラは忘れられない言葉ですね......  」
について
(高橋の返事)
他人事というのは仕方ないことだと思います。会ったことも話したこともない人のことを、自分のこととして理解するのは難しいし、それは当然の感覚だと思います。私だって、先日ブログにも記しましたが、オサマさんが殺されたとき、胸を痛めながらも、スドキさんのお兄さんだと気づくまでは、どこかやはり「他人事」でした。でも、一歩一歩なんだと思います。ブログを読んで、本を読んで、スライドトークを聴いて、ビリンの私の「家族」や友人、ジェニンのマハやアワード家のみんなのことを、身近に感じてくださっている方も増えました。なかには、直接自分でFacebook等を通じてビリンの私の友人に声をかけたり、友達になったりする人も。そういうことの積み重ねなのだろうと思っています。

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★Cさんのご感想
マハさんだ…
ムハンマドさんだ…
と…

美香さんの本を読み
何度かのイベントや
今回の配信で

私のなかに
だんだんと
パレスチナに住んでいる方々の
生身の人間としての有り様が感じられるようになってきています…

ハムザさんの死、カイスさんのこと…

テレビでテロリストみたいに言われるハマスのなかに
確かにひとりひとりの人間がいるということ…

(今回の衝突で
ヤジードくんと同じ年の子が亡くなった時に
背筋の寒くなった自分の感覚をふくめ)

美香さんの発信は
パレスチナを知る入り口になっていると思います。

たくさんの人にみてほしいと思いました。
(おわり)

ご感想をありがとうございます。なにが伝わり、なにが伝わりにくかったのか今後の参考のためにも、ぜひともご感想をお聞かせいただければ幸いです。

本のご感想も、いつでもお待ちしております。
**************************************
※お申し込みは31日まで。ご視聴は31日以降も可能です。

西岸地区最北部のジェニン難民キャンプの家族とその周辺の人々について語ったスライドトーク映像『難民キャンプに生きる』(約50分。拙著『それでもパレスチナに木を植える』の内容とその後の追加取材をスライドトークにしたもの)を、制作者のご協力のもと、カンパへのお礼としてご覧いただくことに決めたので、ご希望の方はお名前(フルネーム)を添えてメールをください。詳細はメールにてお知らせします。(お申し込みは今月いっぱいでいったん締め切りの予定)

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どうか、空爆が終わったあとにこそ、引き続きパレスチナに目を向け、関心を向け、すべての不法行為に対して、空爆や停戦と同じ熱意をもって反対してもらえますように。

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2019年、フェアトレードでパレスチナからオリーブオイルやザアタル、石鹸、刺繍製品を輸入販売するパレスチナ・オリーブ代表の皆川万葉さんと共著『パレスチナのちいさないとなみ』(かもがわ出版)を出版しました。パレスチナの「おしごと」をテーマにした一冊です。お近くの書店でお取り寄せが可能です。

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ブリンケン国務長官がイスラエルとパレスチナを訪問した。

出てきた話は、トランプ前政権の政策とは一転(部分的に)して、東エルサレムにトランプ前政権が閉鎖した総領事館を再開するとか、ガザへの緊急支援として550万ドル(約6億円)を供出するとか、パレスチナの経済開発支援として7500万ドル(約81億円)を供出するために議会に求めるとか、支援組織や団体などを通じて3200万ドルを支援するとか。まあ、見事にカネカネカネ。「カネさえ与えときゃ黙るだろう」と言わんばかりに。実際に、それで黙ってしまう輩がいるから困りものだ。「支援」をとおした汚職や腐敗が人びとの話題にのぼらない日はない。もはや、政府高官にクリーンなイメージを抱けるひとは皆無に近い。

「もう、たくさんだ」と多くのひとが思っているけれど、それをカタチにできるシステムもない。それこそが、占領のひとつのカタチ。イスラエルやアメリカにとって都合のいい人間だけが、その「ふさわしい」座に据えられる。「黙る」ことと引き換えに。「黙らされる弱さ」よりも、札びらで頬を叩き「黙らせる」方こそが責められるべきではあろう。実際に「黙ら」なければ、安心して畳の上ではなくベッドの上で最後を迎えられない不安ばかりが募るだろう。その立場になってみれば、自分もそうなのかもしれない。でも、そうやって民の苦しみに向き合わず、占領の片棒を担ぎ、民に背を向けるあいだに、人びとは殺され続ける。その「無能」と無策のせいで。

そして、そのことを批判し続けたバーセルは、死へと追いやられた。

でも、そのことを批判し続けているヘブロンのユース アゲインスト セトルメンツ(入植に反対する若者たち)のイーサはブリンケンと会談した。アメリカ政府が「ガス抜き」ではなく、もし本気で少しはパレスチナの「普通の人びと」の声に耳を傾ける気があるのなら、それは「希望」と呼んでもいいものなのかもしれない。かなり半信半疑ではあるが。

そんなことを昨晩から今日にかけて考え続けた。

ただ、甘い「希望」を抱き夢見るのはいいが、忘れてはならないのは、巨額のイスラエルへの武器援助、軍事援助や武器の売却がほぼあいだも置かず、同政権に同時期に承認されていることだと、自分の言い聞かせる。武器を売り、儲けるためにふんだんに使わせ(それがガザ空爆であり、日々の占領)、壊しておいて、再建の「援助」を約束する。常識的に考えればそんな「支援」をするくらいなら、壊さなきゃいいのに、壊す前に止めればいいのにと思いがちだが、使わなきゃ、壊れなきゃ、儲けの余地がない。すべてがカネ儲けのため。得をするのは誰?

そんなことのために、ひとが殺される。失われた命、奪われた人生は二度と戻らない。

「殺しはもうたくさんだ」これは、ナザレに描かれた壁画(写真)に書かれていた言葉。そんな当たり前の思いを、願いを、世界が聴こうとする日は来るのだろうか。

2014年の「停戦」から一年後に、ガザの知人が「世界はもう忘れたの?何千人と殺されなければ思い出してももらえないの?」といらだちをあらわにした。封鎖は終わらず、電気も水も医薬品も、生活に必要なものも届かない、また、たとえあっても買えない苦境は、なにも変わらなかった。世界はあれからも、ずっと「黙ってみて」いた。そして、世界の目が向けられない無関心の年月を経て、また同じことが繰り返された。多くの一般市民が殺された。

絶望的なほど、同じことの繰り返し。言葉は伝えるためにあるはずなのに、まるで伝えられない、伝わらない、届かない哀しさ。あと、どれだけ繰り返せば、終わりが来るのだろう。

殺しはもうたくさんだ、占領も封鎖も住民追放も家屋破壊も抑圧も人権侵害も超法規的処刑も弾圧も、もうたくさんだ。みんなの苦しみも涙も悲しみも、もうたくさんだ。

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一月から二月の写真展「パレスチナの人びと」について
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