世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

カテゴリ: 試行錯誤な日々

今年一月に刊行した『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版)が、2023年度第29回平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞に選ばれました。

http://www.pcjf.net/awards/2023.html


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今朝、長倉洋海さんから「おめでとう」というお電話を頂戴した。そこで、賞の発表があったことに気づかされた。

先月、受賞のことをお伝えくださったのは、同基金の運営委員を務めていらっしゃる芦澤礼子さんで、この本を礼子さんが同賞の候補作品として推薦してくださっていたことを知った。

「10/7以前」より、ずっと長年わたしの発信を気にかけ、以前にはご自身の地元の江東区で写真展と講演を地域の仲間のみなさまと開催してくださった礼子さんの「こんなことが起きるずっとずっと前から、地道にパレスチナの日常のなかで何が起きているのかを伝えている美香さんの作品や活動は貴重だと思ったので推薦した」とのお言葉に、「ちゃんと見てくれている方はいらっしゃるんだな」と、最初に感じた。そのことに、まず心より感謝した。

正直に言えば、「受賞したこと」「選んでもらったこと」よりも、「長年みつめ続け、推薦してくださったこと」の方が嬉しかったし、そのことに感謝した。ひねくれた言い方、ひねくれた感情かもしれないが。

受賞そのものは、もっと正直に言えば、喜びよりも痛みの方が大きかった。「いま、このタイミング」ということの意味、「ここまでのことが起きないと、ここまでパレスチナの人びとが犠牲にされないと、目を向けてもらえないのか」と、日々感じている悔しさの「傷口」に塩を塗られているような気持が勝った。理性ではなく、感情の問題だから仕方ない。理性的に考えれば、「選ばれたこと」に感謝すべきだとわかっている。

この本『ママとマハ』を生み出すキッカケをつくってくれた友人に「正直(受賞は)複雑な気持ち」と伝えると「だろうね、これだけ亡くなっている現実からの注目というのはあるよね、美香さんはそれを止めたかった(からやっている)のにね」と返事が来た。その言葉を聞くと、やっぱり悔しさがこみあげてきた。

でも、長倉さんがわざわざ電話をくださったこと、電話の向こうの満面の笑みが伝わってきた。長倉さんも、わたしのこの長年の苦悩、喪失、複雑な気持ちをご存知ないわけじゃない。それでも「より、伝えられる機会を得たことを喜べ」というメッセージなのだと受け取った。「ずっと地道にやってきたことが評価されたのだから」というお言葉を、ようやく正面から素直に受け止められた。長倉さんご自身の長年の苦悩も喪失も、「それでも、なお」の前向きさも、未来をみつめるまなざしも、長年比較的近い場所からみてきて、理解できるから。長倉さんの「おめでとう」は、その瞬間素直に受け止められた。

このことの意味を考えるならば、悔しさも忸怩たる思いも、それはそれとして、パレスチナの「声なきもの」(決して、そんなひとは存在しないが、「聴こうとされていない声」の持ち主)たちの声を、いま以上に届ける役割を与えられたのだろうと受け止めている。届ける機会を持てないまま、志半ばで死んでいったアブーアリー、ハムザ、バーセルのような人びとの声を、ママやマハの声を、「もっと、しっかり届けろよ」という役割を与えられたのだと受け止める。

長年、こんな「地味な仕事」を、「10/7以前」からずっとみつめ、ともに歩み、支え続けてくれたすべての方々に感謝します。その感謝の気持ちは心からのもの。


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2023年1月写真絵本『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版)を刊行しました。

お近くの書店でのご注文をお待ちしております。
版元のかもがわ出版のページ
かもがわ出版|パレスチナに生きるふたり ママとマハ (kamogawa.co.jp)

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アブーアリーが殺されたことを知って、三日目がやってきた。

なにをしていても、アブーアリーとの思い出がよみがえる。

彼が、腹部を撃たれて救急車で運ばれる際に、意識を失う直前、薄く目を開けてなにかをつぶやいている映像を観た。その最後の言葉を、彼の横で聴いていたのはAだった。決して公の場でこの名を明かすことはできないし、仮に彼をAとしておく。Aはわたしのとても親しいひとだ。そんな言葉ではあらわせないけど、とりあえずそこまでにとどめておく。

つまり、Aもアブーアリーと一緒に、キャンプに侵入してきたイ軍兵士と戦っていたのだろう。

アブーアリーの意識を覚醒させるために、救急車のなかで、Aは必死にアブーアリーに声をかける。でも、なにかをつぶやいたところで彼は意識を失い、その後、二週間の危篤状態におかれ、亡くなった。アッラーイェルハムー。

Aが「仲間」として、証言した映像も観た。アブーアリーは「殉教したい」となにかにつけてAに語っていたそうだ。そして「殉教」した。泣きはらした目でそれを語るAの姿。同じく泣きはらした目で銃を片手にアブーアリーの葬列の先頭に立つA。もう覚悟を決めているのだろうと思う。

「殉教したい」という言葉の裏側にある、「尊厳のある人生を生きていたかった」という強い思い。そんな人生であれば、誰が「死ぬことを覚悟で戦う」ことを選ぶだろうか。

同じ難民キャンプで「占領下で尊厳を奪われ、ただ生きながらえることが『生きている』と言えるのか?」と、母親に投げかけた言葉。その母は、「どんなにみっともなくてもいいから、生きていてほしい」と返した。この母子の心から血を流すような葛藤が、伝わるだろうか?

「殉教したい」と口にするアブーアリーに、どれだけの葛藤と悩み苦しみがあったのかと思うと、わたしはやはり「見殺しにしたのだ」と確信する。もうずっと、わかっていた。尊厳のない生の絶望感を、感じていたはずなのに。前にもハムザを「見殺しにした」のに。

どんな言葉も虚しい。本をつくって、語って、それを「伝える」ことの意味がよくわからなくなる。友達の尊厳もまもれず、その命も救えず「見殺しにしている」自分が「伝える」って、なんのためなんだろう。彼らは「伝えられる」ために生まれてきたわけでも、その人生があったわけでも、殺されたわけでもない。

もう無理、もうやめたい。虚しい、「意味」がわからない。どれだけ頑張っても、親しい大切なひとたちが死に逝くことすら止められない。

そうやって泣いていたとき、3/10、3/11の出版記念会の主催者高山さんから、イベントの手書きチラシが届いた。正直に言うと、それを目にするまでは、高山さんにも宇夫方さんにも関係者のみなさまにも、なにより参加を申し込んでくださった方にも申し訳ないけど、断る気持ちと半々だった。もうさすがに無理だと思った。自分自身が「伝える」意味がわからないのに、「伝える」ための本とかトークとか、なんの冗談だよって気がした。

でもね、高山さんが書いてくれた手書きの文字を読んでいると、「ああ、ここにもひとり、悩み哀しみもがき、足掻きながら、確かに一緒に『考えよう』『想像しよう』『立とう』としてくれているひとがいる」と感じた。なにも言われなくても、このチラシだけで十分伝わってきた。だから、これだけは、ともかくやると決めた。これだけはやると思ううち、とりあえず、いまもうすでに動き始めていることだけは、やると決めた。

アブーアリーが、悩み苦しみぬいて「殉教」を決めたことを、「なかったこと」にしてたまるかと思う。消されてたまるかと思う。ただその一心かもしれない。

わたしの「伝える意味」なんて葛藤は、どうでもいい。そんなもん一生ひとりで悩んでろ。

アブーアリーが生きていたことだけは、絶対に消してたまるか。そのために語らなければ残せないなら、書かなくては「消されてしまう」なら、この世に生きている限り、やるしかないんだとわかっている。

アブーアリー、どうか安らかに。
Aに「まだこっち来んなよ」って言ってやってほしい。
Aに対して、一番「伝わる言葉」をもっていたのは、アブーアリーだったから。

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"ママとマハとミカとアブーアリー”(独断で勝手にタイトル変えちゃった)
~『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』出版記念~

主催者(高山正樹)から。。
残された時間、徹底的に沖縄にこだわると決めたボクにとって、パレスチナは躓きの石です。この表現が適切かどうかは分かりませんが、ともかく世界には沖縄以外にもたくさん考えなければならないことがあるということを決して忘れないために、ボクは、ずっとパレスチナに向き合ってきた高橋美香という友人を、ことあるごとに引っ張りだしてイベントを企画してきました。

いわば「沖縄~パレスチナ~そして世界へ」、そんな大風呂敷を広げているわけですが、でも、今回皆様に聞いて知って頂きたいのは、パレスチナに生きる二人の女性が体験してきたこと、あたりまえですが、我々と変わらない人間の、個々の顔の見える小さな営みです。そうだからこそ、世界に繋がるのだということを信じて。

皆様のお越しを、心からお待ちしています。

会場:M.A.P.(狛江の小さな沖縄資料館)
日時:3月10日(金)19:00~
   3月11日(土)14:00~
参加費:本付き 3000円
    本無し 1500円
    リモート参加もOK(サイン本付きは送料込みで3200円)
    高校生以下 500円

リモートはZoomでの開催を予定

会場定員各回15名
※今回は入場者を少数に限定しますので、会場参加ご希望の方は、必ずご予約のご連絡をお願いします。
ご予約は下記のサイトからお申し込みください。リモートでの参加ご希望の方もお申込みできます。PayPay、クレジット、コンビニ払いが可能です。
ご不明な点がございましたら、お気軽にお問合せ下さい。

お申し込み専用ページ
https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/023ngcjzvmw21.html

ご予約、お問合せ:03-3489-2246(M.A.P.エムエイピイ)


先月1月20日、新著『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版)が刊行された。
かもがわ出版|パレスチナに生きるふたり ママとマハ (kamogawa.co.jp)

本当は、この本についてじっくり紹介しなければならないけれど、今日の本題はそこじゃないので、話を先に進める。でも本のなかに出てくるひとのことなので、おいおいと。

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ジェニン難民キャンプの「弟」たちの幼なじみで親友のアブーアリーが、二週間ほど前にキャンプに侵攻してきたイスラエル軍の兵士に腹部を撃たれ、この二週間危篤状態で、今日亡くなった。

その一報を目にしたのは、ツイッターだった。そのまま貼りつけておこう。

ああ、手が震えて、文字もまともに打てません。確認が取れました。ジェニン難民キャンプで2週間前に腹部を撃たれて今日亡くなったのは、「弟」たちの幼馴染の親友アブーアリー(ムハンマド)だったことが。 https://t.co/ZYTvEXwA01

— 高橋美香 (@mikairvmest) February 23, 2023 " target="_blank" title="">http://

ツイートでも言及しているとおり、新著『ママとマハ』のなかにも、彼が写っている写真は二枚収めているし、前著『パレスチナのちいさないとなみ』には、丸々1ページアブーアリーの「仕事」を紹介したページもある。『それでもパレスチナに木を植える』では、一家の裏庭の家畜小屋づくりに際して、リーダーシップを取ってくれたのは、本職である彼だった。

アブーアリーとの思い出は、数限りなくある。なぜなら、弟たちの幼なじみの親友たちのなかで、わたしが一番親しかったのも、話をしたのも、一緒に時を過ごしたのも、信頼していたのも、好きだったのもアブーアリーだったから。物静かで、自分が損な役回りになろうとも、嫌がらずに引き受けて、コツコツと自分の役割をしっかり担うヤツだった。頼りになるヤツだった。

初めて出会ったころは、彼も弟たちと一緒に演劇をしていた、一緒に「盗まれた夢」の舞台に立っていた。そのころの写真を見返してみると、ああ、記憶の彼方にしまわれていた、アブーアリーと一緒に写った写真が出てきたよ。まだ彼が19歳のころの写真。(3/10と3/11の出版記念会のトークの際にはその写真をご紹介します)

「生まれた場所や時代が違っていたら、違う人生があっただろう」「ここでは、あまりに簡単にひとの命が奪われていくから」、『ママとマハ』のなかには、そんな言葉を綴った。

でもね、アブーアリーまでが殺されたいま、その言葉は、いったいどれほどの重みと実感を持って書かれたのだろうと、自分自身に問いかけざるを得ない。こんな風に、アブーアリーの死をみつめながら、この言葉を反芻する日が来るなんて、想像もできていなかった。誰の身に、こんなことが起きてもおかしくないとアタマではわかっているはずなのに、その日が来ると、ただ呆然としながら、手が震え、涙が止まらず、頭がガンガンしてきて、呼吸の仕方もわからなくなる。

あと何回こんな思いをすれば、終わりが来るのだろう。終わらせられるのだろう。それまでに、あと何人の死と、親しかったひとたちの苦しみを目にすれば終わるのだろう。

アブーアリー、もう二度と会えないなんて信じられないよ。あんなに一緒に笑ってたじゃん。ジェニンを離れる最後の日に「またね」って言ったじゃん。悔しすぎる。哀しすぎる。虚しすぎる。

穏やかで、包容力のカタマリみたいなヤツで、大好きだった。弟たちの幼なじみのなかで、一番大好きだった。すげーいいヤツだった。

どうかどうか、その魂が安らかならんことを。
(左・アブーアリー、右・「弟」のカマール)

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『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』出版記念スライドトーク

"ママとマハとミカ"
~『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』出版記念~

主催者(高山正樹)から。。
残された時間、徹底的に沖縄にこだわると決めたボクにとって、パレスチナは躓きの石です。この表現が適切かどうかは分かりませんが、ともかく世界には沖縄以外にもたくさん考えなければならないことがあるということを決して忘れないために、ボクは、ずっとパレスチナに向き合ってきた高橋美香という友人を、ことあるごとに引っ張りだしてイベントを企画してきました。

いわば「沖縄~パレスチナ~そして世界へ」、そんな大風呂敷を広げているわけですが、でも、今回皆様に聞いて知って頂きたいのは、パレスチナに生きる二人の女性が体験してきたこと、あたりまえですが、我々と変わらない人間の、個々の顔の見える小さな営みです。そうだからこそ、世界に繋がるのだということを信じて。

皆様のお越しを、心からお待ちしています。

会場:M.A.P.(狛江の小さな沖縄資料館)
日時:3月10日(金)19:00~
   3月11日(土)14:00~
参加費:本付き 3000円
    本無し 1500円
    リモート参加もOK(サイン本付きは送料込みで3200円)
    高校生以下 500円

会場定員各回15名
※今回は入場者を少数に限定しますので、会場参加ご希望の方は、必ずご予約のご連絡をお願いします。FBでの参加表明だけでは、ご予約にはなりませんので、よろしくお願いします。
ご予約は下記のサイトからお申し込みください。リモートでの参加ご希望の方もお申込みできます。PayPay、クレジット、コンビニ払いが可能です。
ご不明な点がございましたら、お気軽にお問合せ下さい。

お申し込み専用ページ
https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/023ngcjzvmw21.html

ご予約、お問合せ:03-3489-2246(M.A.P.エムエイピイ)


イベントの詳細はコチラ


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大変ご無沙汰してしまいました。

長文を書くことを怠け、140字の安楽(Twitterのこと)に身を委ねる癖がつくうち、すっかりブログから遠ざかってしまっておりました。

今日は大切なお知らせがあり、気がつけば半年以上ぶりにブログにログインする次第です。

さてさて、コロナ禍がおさまらず、すっかり不自由な日々が「あたりまえ」になるなか、行動は大幅に制限され、万が一のことを考えるとなかなか以前のようにはあちこち出向くこともできず、住まいのある埼玉とせいぜい隣の東京から出ることもなく三年が経とうとしております。一度だけ横浜美術館に行ったけど。

そんななか、いままで『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナ木を植える』、『パレスチナのちいさないとなみ』(皆川万葉さんとの共著)を一緒に生み出してくれた編集者のAさんから「いままでも、パレスチナ問題を知らない、よくわからないと感じる人にこそ手に取ってもらえるような本をつくろうと一緒に本をつくってきたけど、いままで以上に、もっと幅広く手に取ってもらえるような写真絵本をつくろう」(要約)という提案をいただきました。

ガザへの空爆があれば、一時的には報道され注目もされるけれど、空爆や軍事攻撃が終わってもガザ地区への封鎖は続き、人びとの日常の困難は変わらず、また西岸地区やイスラエル国内で暮らすパレスチナ人への抑圧や人権侵害や占領状態に目を向けられることは、多くはありません。でも、この「目も向けられないあいだ」の日常的な苦しみが取り除かれない限り、なにも解決しません。

そんな思いを常に抱えながら、なんとかパレスチナの人びとのことを、彼らが抱える喜びも苦しみもひっくるめて、知ってもらえないか、感じてもらえないかと本をつくり、自分なりに懸命に発信しているつもりですが、なかなかそれが「目に見えた結果」につながることはありません。でも、へこたれずに続けていくしかありません。誰に頼まれたわけでもない、自分が決めた「道」だから。

というわけで、Aさんの提案をもとに、誰を主人公にしようか、どういう話にしようかと、頭を悩ませていたところ、その話を進める場に同席してくれた友人のひとことがキッカケになり、最愛のママとマハのことを書こうとひらめきました。ママはわたしの「パレスチナのお母さん」、マハはわたしの一番のパレスチナ人の親友で「パレスチナのお姉さん」。大好きなひとはたくさんいるけれど、ママと(彼女の配偶者のパパと)マハは特別に特別なひとです。

刊行は来年一月の予定。

どうかお近くの書店やお気に入りの行きつけの書店にてご予約いただければと思います。
(取次と呼ばれる問屋さんとの取引のある書店なら、日本全国どこの書店でもご予約可能です)

「本が売れない」と言われて久しいですが、わたしは元書店員のひとりとして、町の本屋さんを応援しています、というか、自分が暮らす町、働く町で書店がなかったら、悲しすぎます。わたし自身はものすごい本好きで、エンゲル係数ならぬ本ゲル係数が高すぎ、生活費以外の稼ぎのほとんどは本に消えるというバランスの悪すぎる生活を送っています。そしていわゆる積読本の在庫は部屋を埋め尽くし、居住スペースを圧迫し、どう考えても人生の終わりまでに読み切れない数の本が積んであります。常に、床が抜ける心配をする人生です。(うんうん、と笑ってくれたひと、同志だー)

個人的な思い出になりますが、コロナ禍でスーパーマーケットや薬局以外の多くの店が閉まってしまったとき、地域の図書館すらも閉館になりました。大型の店舗のなかにある書店はどこも閉まってしまったなか、最寄りの駅前の小さな書店だけは、ずっとお店を開け続けていらっしゃいました。どこもかしこも閉まっていて、真っ暗になってしまった町のなかで、本屋さんの灯りがともっていたことの心強さとあたたかさ、わたしは一生忘れません。それ以来、できるだけその書店で本を買うようにしています。感謝の気持ちを示すために、これからもずっとその灯を消さないでいてほしいから。

書店は本当に「薄利多売」の商いです。確かにネットで注文して自宅まで届けてくれるのは便利に違いないけれど、ほしい本が特になくても、ふらりと立ち寄って、思わぬ本との出会いがある、そんな時間がわたしは好きで、大切に思っています。

長くなりましたが、そんな出会いの時間をひとりでも多くの方に持ってもらえると嬉しいし、そんなわけで、町の本屋さんで予約して購入してもらえたら、なお嬉しいです。

版元のかもがわ出版のページ
かもがわ出版|パレスチナに生きるふたり ママとマハ (kamogawa.co.jp)

版元ドットコムのページ
パレスチナに生きるふたり ママとマハ 高橋 美香(著/文 | 写真) - かもがわ出版 | 版元ドットコム (hanmoto.com)

みなさまのご予約を心よりお待ちしております。

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わずかなスキマ時間をみつけて、サクラを撮る。不思議なもので、さあ、どこから撮ろうかな、どこを切り取ろうかななどと木を見上げていると、「ちょっと、私を撮りなさいよ」「こっちもこっちも」などという花々の声が聴こえてき始める(大丈夫か?オマエ…というご心配は、多分、無用)。その声に導かれるままにシャッターを押す。ほんの五分、十分のつもりがいつの間にか一時間経っていてあせる。

毎年サクラを撮りながら実感することがある。「わたしは本当に自分が撮りたいものさえ撮っていられれば、それだけで幸せなんだな」ということ。心が不思議なくらいに充たされる。なかなか他のモノゴトでは味わえない感覚だ。写真を撮ることが好きで好きでたまらないんだなと気づかされる。もちろん、一銭にもならないような、「仕事」とは関係なく、ただ自分が好きで撮っているときにだけ、ジワーッとその気持ちがあふれてくる。これが日々の糧を得る「仕事」のときにも感じられれば、私はもっと積極的に写真の「仕事」をできるのだろうにな。この高揚感やふんわりした撮影の興奮や好きで好きでたまらない気持ちは、スーフィダンスや神楽を撮っているときに一番感じることが多い。いや、毎回感じる。被写体とシンクロするような感覚。それが、近年、サクラで感じられるようになってきた。

でも家に帰って、PCに取りこんで大きなスクリーンで撮影した画像をみると、撮影のときの高揚感が吹っ飛ぶ。自分のヘタクソ加減にガッカリさせられる。手ぶれ、被写体ぶれ、露出の失敗(RAWで撮ればいいんだろうけど、写真の編集レタッチが好きじゃない)等々ガッカリの連続。なのにまた、性懲りもなく「サクラの声を聴きに」隙間時間さえあれば、重いカメラを担いで向かってしまう。

大好きなガウディが「神が創り出された自然の造形ほど美しいものはない」というようなことを言っていたと記憶するが、木々や花々や枝の造形を眺めていると、本当にそう思う。光も影も。美しいものを眺めて生きていられればいいのに…世界中のひとが。

世界が平和になりますように。
花々や身のまわりの美しいものを楽しむ日常を得られないひとたちのことを思う。

またジェニン難民キャンプで若者たちが殺された。。。



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クルドのおかあさんのオヤの「お楽しみ袋」を4月10日までの期間限定でご用意しています。
クルドのおかあさんがつくるオヤ「お楽しみ袋」2022年 : 世界の笑顔に出会いたい (livedoor.blog)

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