世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

タグ:アジア

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今度の土曜日にアフガニスタンとパレスチナの話をする。取材と支援活動と、異なる関わり方、アプローチだが、その生活、人びとの暮らしをみつめるという点では変わりがない。パレスチナではそれをみつめながら記録する、生活から見えてくる「占領」について考える、アフガニスタンではそれをみつめながらどうサポートしていくか、なにができるのか、なにをするべきではないのかを考える。

アフガニスタンでの活動に携わってもうすぐ15年目になる。こんなに長く、いやむしろこんなに深く関わることになるとは思ってもみなかった。支援する学校「山の学校」のホラム先生と三女のマリナ、ヤシン先生一家、そのほか多くの村のひとたちと、たくさんの顔が浮かんでくる。

2007年に初めてワタシは現地を訪れたのだが、現地に行ってみたかった理由の一つは長倉洋海代表が撮影した子どもたちの写真をみて当時小学一年生だったマリナの笑顔に心を射抜かれたからだった。今度の土曜日には、そのマリナと「山の学校」の教師である父親のホラム先生をみつめた10年間の話を中心にしようと思っている。

写真を選びながら「選外」となった写真に目をとめる。マリナの妹モリナが未就学年齢の5歳で一年生の教室にオブザーバーとして参加して勉強している写真。正式な生徒として教育省に登録されるのは6歳からだが、先生や学校の生徒たちが娘や息子、弟や妹の子守りを兼ねて4歳5歳の子を学校に連れてくることが多い。オブザーバーも教室の片隅で一緒に勉強している。

多くの家庭でとても子どもが多い。ホラム先生の家にも11人の子どもがいる!家で家事を担う奥さんや年長の娘たちの負担を減らすため、ホラム先生は小さな子どもたちを学校に連れて来ていた。

いま、父親の背中をみつめて育ったマリナは、父親のような教師になって地域の子どもたちを導きたいと「山の学校」の教師を務めながら大学に通っている。

年月を経てみれば、無我夢中になって重ねてきた活動が、大きな実りとなっていることに気づかされる。「山の学校」の子どもたちや、村の大人たちと一緒に年月を重ねてこられた幸せをかみしめる。

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12月15日土曜日、国立の「カフェ・れら」(国立市東1-16-7)において、取材と支援活動でそれぞれ出会ったパレスチナとアフガニスタンのあるふたりの女性(難民キャンプの女性と山あいの小さな学校「山の学校」の卒業後母校の教師をしながら大学に通う卒業生)とその家族の暮らしからみえてくるものについてスライドを用いてお話します。

なお、当日販売予定のアフガニスタンのクラフトは「山の学校」の現地での協力なサポーター、アフガニスタン在住の安井浩美さんの主宰される会社シルクロードバーミヤンハンディクラフトの商品です。これらの品を買うことで同社で働く女性たちの工賃や賃金として生活を支える一助となっています。パレスチナのハンディクラフトはビリン村の女性たちが作ったものが主になります。

以下、お店からのご案内を転載します。

<高橋美香さんのお話&スライド>
〜戦禍に生きるパレスチナとアフガニスタンの人びとの日々の暮らしを見つめて
12月15日(土曜)pm6時〜 1時間位を予定しています。
\1000

*高橋美香
写真家。著作に「それでもパレスチナに木を植える」「パレスチナ・そこにある日常」など。アフガニスタン山の学校支援の会運営委員。

<手織り 手刺繍のクラフト展>
12月15日〜25日 11:45〜20:00
*高橋美香さんが取材や支援活動の中で出会ったパレスチナ、アフガニスタンの女性たちの作品です。
生活 自立支援のための販売、是非見にいらしてください!

カフェ・れら

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その国に初めて降り立った瞬間「あ、この国好きかも」と思うときがある。今回、台北の松山空港に降り立ったとき、鼻腔をくすぐる生ぬるい甘い香りに「なんか、いいかも」と感じた。

最初に入った空港のトイレで、清掃状況などを評価する画面に怒り顔から笑い顔のクロクマ(なんでも台湾のシンボル的存在らしく、旅のあいだやたら目にした)が評価を待っていて、思わずタッチパネルを押した。設備の新しさや清潔度などはともかく、クロクマの表情に「うわあ、いいね、この国」と思った。

若いころは、とにかく遠い地を目指してばかりだった。そして行き着いたのが中東と中米。とにかく学生時代はその二地域にドハマりした。「日本と全然違うところ」「ともかく遠い場所」「せっかく行くならなにもかもに驚くような場所」という基準で、単細胞、単純だったワタシは二度ほど行った東アジアと東南アジアには背を向け、ヨーロッパや北米にも「そんなに日本と変わらんやろ」と背を向け、中東と中米に通ったのだった。(南米とアフリカが未踏、いつか行きたい)

でも、浅はかだった。どんなに遠い国、遠い場所にも普遍的な変わらぬものがあり、「先進国なんて大した違いがない」と勝手に決め込んでいたそれぞれの地に、それぞれの文化、特色があり、そんな単純なことに気づくまでに20年もかかってしまった。

となると、気になるのが台湾。若かりし頃のワタシは夏休みに行った友人から「いいところだった」と聞かされても、「せっかく行くのに、そんな近いところ?」と聞き流していた。そのときのことを思い出すと、自分の浅はかさに恥じ入るばかりだ。

今回の旅の一番の目的は、台中の彩虹村の黄さんが描いた壁画を見る、撮ること。パレスチナの分離壁に描かれる壁画、まだ未踏だがいつか行きたいルーマニアの「陽気なお墓」に描かれた絵、エジプト留学時代にハッジ(メッカへの巡礼)を済ませたひとが自分の家に描くハッジペインティング、なぜか、そういう名もない人びとが自分の人生やこめた思いを描く絵が気になって仕方がない。

彩虹村の詳細はまた別の機会に詳しく書くとしよう。印象だけ記すとすれば「ちょっとたどり着くのが遅すぎた」という感じか。黄さんにお目にかかることもできたし、壁画自体は素晴らしく、「人間はなぜ描くのか」という命題についてもいろいろ考えさせられたし、観光地として整備されたおかげでアクセスも楽になっているし、お土産をたくさん買ってわずかながらお金を落とすこともできたし、それでヨシといえばヨシなのだが。

でも「観光地化」ということについて、功罪ともに深く考えさせられた。まあ、この話はまた後日。多分。

旅の後半、完全に体調を崩してしまって、世界各国でどんなスパイスや香草が入った食べ物もわりと平気で平らげてきたのに、まさかまさかの美食の国台湾で、五香粉の匂いを受け付けなくなり、気持ち悪いわ、お腹は痛いわ、毎日アタマが痛いわ、眠れないわの四重苦。あの美食の国で、コンビニに駆け込んでレーズンパンを買って食べるという体たらく。しかもコンビニの店内も結構な匂いが。息を止めながら会計を済ませる。

旅の前半は、五香粉の匂いを受け付けないなんてこともなく、いろいろ食べていたので、体調が悪くなってなにかが過敏、過剰反応してしまったのだと信じたい。じゃないと次回また行けないじゃないか。

そう、また必ず行こうと思うくらいに、台湾いいところだった。

なんだか似ているのに、やっぱり違う。違和感がないのに、やっぱり異文化。街の雑踏に紛れ込むことができるのに、やっぱり異邦人。この不思議な感覚は、独特のものだった。

追い追い時間をみつけて綴っていけたらいいな。

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久しぶりに都内でパレスチナやアフガニスタン、クルドのおかあさんの手仕事(手織り、手刺繍)のクラフトの展示販売とパレスチナやアフガニスタンなど自分が出会った各国の人たちについてのスライドトークをします。

オリーブマーケット こもれび通り三軒長屋のクリスマス

日時:12月15日(土) 18時から

場所:カフェ・れら
国立市東1-16-7イルデュノール1階 JR中央線国立駅南口徒歩五分

参加費:千円

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今年に入ってから、パレスチナの旅を終えて、帰国後の報告会をあちこちでおこなって、今度はアフガニスタンに行って、そのさなかに予想通りパレスチナの情勢も「目に見えやすい形で悪く」なって、そのあいだに体調を崩したり、すっかり「うちの子」へと変貌を遂げたシロと戯れたり、気が付けば2018年も5か月が過ぎた。

今年は経由地でカブール行きの飛行機に乗り込むと、駐機場からいつまで経っても動かない。「機材のトラブル」「受け入れ側の不具合」などなど、数時間もジリジリと時間が過ぎ行くのに満足な説明もない。周囲の圧倒的大多数はアフガン人の乗客。彼らが現地の家族や友人などと電話で話しているのが聞こえてくる。「戦闘」「交戦」「爆弾」「テロ」などの単語が飛び交っている。どうやら機体の不具合や受け入れ態勢がどうこうではなくて、カブールで戦闘または爆破があり、安全確認が取れないためにカブールに向けて離陸できないらしい。

みんな不思議なほど落ち着いている。騒ぐでもなく、文句を言うでなく、淡々と状況の変化を待ち続けている。でも、とうとう三時間ほど経って「会社として安全の保障ができないのでフライトはキャンセル」ということになった。

乗り込んだ飛行機からむなしく順に降り、荷物も返してもらえないまま、着の身着のままで航空会社が用意したホテルへ。朝ホテルを出て、出国して、飛行機に乗り込んで、フライトがキャンセルになってまた入国。搭乗前に某免税店でTシャツを二枚買ったので「今日は空港にTシャツを買いに行きました!」と無理に笑ってみる。不穏だ、不安だ。どれだけ交渉しても歯ブラシと歯磨き粉以外はなにも貰えなかった。「なにがあるかわからないから、最低一泊分くらいは手荷物へ」とはよく聞いていたけれど、あれホントなんだなあ。馬鹿なワタシは持病の薬すら持っていなかった。化粧水や乳液や化粧品などはもう言うまでもない。

翌日は、拍子抜けするほどあっさり飛んだ。カブールの町中も一見なにごともなかったかのようだった。でも、そんなものなのだ。なにがあろうと、ひとの営みは続いていく。

「山の学校」や生徒たちが暮らす山に向かってみると、ますますその思いが強くなった。国の状況は本当に悪く、爆弾テロも多く、不安定な地域もどんどん増えている。しかし、子どもたちは元気で、学校では笑顔があふれていて、夢に向かって懸命に学び、歩む卒業生の姿があって、その次の世代の子どもたちもどんどん成長を遂げている。

元ムジャヒディンのホラム先生。結局地元に戻って教師になった。ほぼ自給自足の村で教師をしながら、それだけでは生活ができないので懸命に畑を耕す。

ホラム先生の背中を見ながら育った四女のマリナは、一家の姉妹のなかで初めて高校を卒業した。歩いて片道二時間かかる高校に通いとおした。そして成績優秀だった彼女は大学にも合格し、教師をしながら大学に通う。「父が私たちにしてくれたように、今度は自分が地域の子どもたちを導いていきたい」と話したマリナとそれを横で聞いていたホラム先生の姿は忘れられない。

ホラム先生の末っ子の四男ワリも、すっかり大きくなった。いまでは末っ子らしく甘やかされているのかやんちゃ坊主炸裂。つい数年前までは揺り籠で揺られていたのに!それを言うなら、マリナだってそうだ。初めて会ったときは小学三年生だった。窓から風で揺られる鉢植えの花を眺めていた横顔が忘れられない。

「おおきな」ことをみつめすぎると、困難や絶望的な状況ばかりが目についてしまう。でも、ひとりひとりの生きる姿、夢に向かって歩む姿、「ちいさな」日々の営みをみつめていると、そこには希望が感じられる。

そういうことを、忘れないようにしたい。「ちいさな」日々の営みを大切にしたい。

写真はホラム先生の家の末っ子のワリ。もう5歳だって。早いなあ。

アフガニスタン山の学校支援の会
http://www.h-nagakura.net/yamanogakko/


アフガニスタン山の学校 二年生算数の授業


アフガニスタン山の学校 スイカ割り

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