世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

タグ:ジェニン難民キャンプ

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思えばたくさんの猫さんたちにパレスチナで出会ってきたものだと、写真を何度も何度も見返しながら何度も確認する。どうしてこんなにパレスチナの猫たちに心を奪われるのだろう。彼らの視点をかりて、私はなにをみつめ、伝えたいと思っているのだろう。自問自答が続く。

三月に仙台でのトークを終えてから、すっかり「パレスチナで自分が体験したことと向き合うこと」を避けてきた。トークのような場がなければ、いくらでも「避けよう」がある。向き合わなければ、書かなければ、考えなければ…ということから逃げてさえいれば、向き合わなくて済む。それらを「表現しよう」などと思いさえしなければ、いくらでも逃げられる。

胃が痛い、消化不良が続く、悪夢がひどい、不眠、歯ぎしりのし過ぎで毎朝奥歯が痛いなど、明らかな「不調」は、ジェニン難民キャンプへの滞在中からますますひどくなっていた。避難先でもそれは続き、帰国後もずっとひどいままだった。そして、私は仙台でのトークの後、今月に入ってから、明らかに「パレスチナと触れる」ことを減らした。症状は徐々におさまっていった。

ジェニン難民キャンプの居候先の一家と、軍事侵攻が激化してから攻撃下を避難して三か月が経過した。一家は、家に戻れないまま、自宅の様子を見に行くことすら許されないまま、避難先を転々としている。一家のような避難生活を強いられているひとたちは、ジェニン難民キャンプだけでも二万人にのぼるとされる。

ナクバで難民となって難民キャンプにたどり着いた世代から、三世代目、四世代目となる子孫が、いま再び、その難民キャンプの自宅を破壊され奪われ追われている。一般市民への集団懲罰に、空爆の連続のような「目に見えやすい」非道と違って、ほとんど非難の声もあがらない。こうして「なかったこと」のように、見過ごされ、避難民たちは苦難のなかに置き去りにされる。「ひとり、ふたりが殺されたって、見向きもされない」と、また言わせてしまう。

そんなことはおかしいよね、やめさせなきゃいけないよね。どうすれば、そんな声を聞いてもらえるのか、考えれば考えるほど私は追い込まれていった。あまりの「無力」さに。あまりの自分の声の「ちいささ」に。

だけど、わたしの大切なひとたちは、今日も避難先でしんどい一日を送っている。いつでも、離れたり逃げたりできる自分と違って、彼らにはそんな「自由」もない。

先日、ほんのわずかな時間、マハが電話をくれた。どうしたのかと思ったら、新たな避難先を見せてくれようとしたらしい。人生は続くのだと思い知らされる。

私自身も「向き合うことから逃げたい」気持ちよりも「向き合ってカタチにしたい」気持ちの方が勝ってきたので、ちょうどタイミングよく声をかけてくれたAさんの「導き」に背中を押されるように、書きたいことを書き始めた。

ビックリするほど、どんどんあふれるように文章が浮かんできて、一日目にして構想の三分の二、二日目にして全体の六分の一を残して書き進めた。もちろん、これが即「使える」ものになるわけではないが、ラフのラフくらいの出だしとしては上出来だ。

ああ、自分は書きたかったんだな、きちんと向き合いたかったんだなと気づかされた。そして、書くと言う作業をとおして真正面から向き合っても、胃は痛くもならず、悪夢もみなかった。少しずつ、進めていこう。どんなカタチとして、なにが出来上がるかは、もう少し先のお楽しみに。

写真は、ナーブルスの街かどで出会った猫さん。まなざしが印象的だった。

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「パレスチナの猫」写真展(修正版)


全国各地を巡回中の、D4P企画の安田菜津紀さんとの写真展「パレスチナの猫」が、再び東京に帰ってきます。5/7~27神保町ブックハウスカフェにて開催されます。また5/15(木)18時からは同店二階にて安田菜津紀さんとのトーク「写真でつたえるパレスチナのいとなみ」が開催されます。オンライン配信もあります。

皆様のご参加をお待ちしております。

詳細は
「写真で伝えるパレスチナのいとなみ」 高橋美香&安田菜津紀トークイベント | 株式会社 ブックハウスカフェ | 神保町唯一のこどもの本専門店 & カフェ (bookhousecafe.jp)


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1月14日の夜、かねてからイスラエル軍だけでなくパレスチナ自治政府治安部隊により包囲されて攻撃を続けられていたパレスチナ自治区西岸地区北部のジェニン難民キャンプの居候先で一家と過ごしていた私は、そのとき、ちょうど家族に剥いてもらったザクロの粒をほお張りながら、一家の居間に敷き詰められた自分の寝床のマットレスに寝転んで日記を書いていた。

そのときのことを確認しようと、日記を開いてみたが、読み進めるにつれ、吐き気と胃痛が止まらなくなってくる。我ながら、相当そのときのことがトラウマになっていることに気づかされる。それでも、そのことを吐き出せているうちは、きっと大丈夫なのだろう。

今後トークをしていくためにも、原稿を書いていくためにも、撮影した写真の確認と日記の確認作業はとても大事な作業だ。なのに、どうしても開く気になれない。詳細を思い出すだけで、言葉にならない疲労に襲われる。吐き気と胃痛は、自分なりに必死にサインを出して、そのストレスのもとから遠ざけ「自分を護ろう」としているのだろう。

でも、どうしても書いておかなくてはならないことがある。

それは、ジェニン難民キャンプの居候先のマハの家の隣に住んでいたバハさんの白い猫のこと。

冒頭に書いた1月14日の夜、ザクロをほお張りながら日記を書いていた夜、隣の家のアブーアラア(バハさんのお父さんのこと、五人兄弟のバハさん長兄がアラアさん)の家とその隣のバハさんの建築中の家の前でたき火を囲んでいた六人の青少年が、ドローンにより爆殺された。

インフラの破壊は続き、電気も水も集団懲罰的に断たれた難民キャンプでは、なんとか電灯ひとつ灯る程度の電力は、周辺の地域から無理やり引いて来たり、ジェネレーターを使ったりと、住民たちの努力でまかなってきたが、暖房やストーブなどは一切使えないため、夜になるとあちこちの家でたき火で暖を取る光景が見られた。もちろん、マハの家も例外ではなかった。

木々が豊富にある農村と違って、緑も木々もない狭いコンクリートの住居が建ち並ぶ難民キャンプでは、焚き付けのための木材を探すのも一苦労だ。マハは、あちこちから攻撃によって破壊された家具などの端材を、ゴミ捨て場から拾って来たり、譲ってもらったりしながら、毎日の焚火の材料としていた。

殺されたバハさん、弟のモーメンさん、アミールさん、向かいの家のマハムード(マハの義姉の孫にあたる近い親戚で、私自身もとても親しくしていた)、近所のホサームさん、爆撃のターゲットとされたと後に噂されたイブラヒームさんの六人も、そんな風に自宅の前でたき火を囲んでいた。

夜十時を少し過ぎて、ダンという地を揺るがすとてつもない大きな音が響いた。その直後の三発目はもっと近くて、家が揺れ、その瞬間電灯ひとつ灯っていたのも消えて停電になり、玄関を開けて外に出るとすぐ外で真っ暗闇のなか、白っぽい煙があがっていた。「アッラーフ アクバル!アッラーフ アクバル!」と叫びながら、マハが飛び出していった。救命措置の訓練を受けている娘のエリヤも、救命キットを持って駆けだしていった。

近所の人と、近所の車を持っている人が駆けつけ、叫び声が響き、現場は泣き声と叫び声に包まれていた。真っ暗闇のなか、車のランプやみんなの持って出た懐中電灯が、現場を照らし出していた。

爆殺現場の詳細については、これ以上は、今日の時点ではとても書けそうにない。言語化していくには時間がかかりそうだ。一生できないかもしれない。あの光景を、どう言葉で表現すればいいのかが分からない。かといって、カメラを持って飛び出したくせに、私には現場を撮ることもできなかったのだ。

とにかく、第一には救命活動の邪魔にだけはなりたくなかった。第二に「この現場を撮影している外国人の存在」を、アピールしたくもなかった。自分だけでなく、こんな困難の中でも、自分を居候として受け入れてくれている家族に、取り返しのつかない迷惑だけはかけたくなかった。第三に「救命活動の現場を狙ってもう一発、四発目の爆撃があり得る」ことが怖かった。

家の玄関のドアの前まで身を引いた。そこからは、三発目の爆撃を受けたバハさんが倒れている姿が見えた。

その当時のツイートを貼りつけておこうと思う。

https://x.com/mikairvmest/status/1879461904567197827




バハさんは生前、白い猫と一緒に暮らしていた。とてもかわいがっていたそうだ。あの夜一緒に殺された15歳の少年マハムードの猫は、マハムードのかたわらで一緒に殺されたが、バハさんの白い猫は生き残った。

バハさんが殺された後、バハさんの白い猫は、彼を探して鳴き続けた。隣の家なので、しょっちゅう居候先の敷地にもやってくる。「ねえ、バハはどこに行ったのかな?どうしていないんだろう」とでも言いたげに彼を探して鳴き続けた。いや、もしかすると「見ていた」のかもしれないし、知っていたのかもしれない。

インムアラア(バハさんたち殺された三人兄弟のお母さん)は、葬儀が終わると、隣の家から避難していった。きっと、その家で過ごすことは辛すぎたのだろう。

避難先の事情が許さなかったのか、攻撃下の避難では難しかったのか、バハさんの白い猫は、誰もいなくなった家の周囲に取り残されていた。

そして、その翌週1月21日、「ガザ『停戦』後には間違いなく西岸への攻撃が激化するだろう。まずはジェニンとトルカレム、ヌールシャムスだろう」とかねてから言われていた通り、ジェニン難民キャンプへの大規模な軍事侵攻が始まった。

しばらくは、ムームーたち近所で暮らす猫たちと共に過ごすバハさんの白い猫の姿を見守っていたが、1月21日にわずかな身のまわりのものをのぞいて持って逃げることもできなかった私に、猫たちを救うことも連れて逃げることもできやしなかった。しょせん居候の私が、日本に連れて帰る覚悟もなく、そんなことは、できはしなかっただろう。そのことを思うと、どうすることもできなかったが、胸が苦しくてたまらなくなる。

「すぐに攻撃が終わって帰れるかも、瓦礫であっても帰りたい、猫たちにも会いたい」そんな思いは、日が経つにつれて夢物語だと悟った。破壊と攻撃がずっと続いた。39日経ったいまでも続いている。自宅の様子を見に帰っただけの近所の知人が撃たれて殺された。

バハさんの白い猫が、その後どこでどうやって生き延びているのか、命を落としてしまったのか、いまの私にはまったく分からない。残した自宅の様子すら知ることができていない居候先の家族にも分からない。

人の数だけ、猫の数だけ、こんなに胸が苦しくなる「物語」がある。そのことだけは、残しておかなくちゃ、と思う。せめて。

【今後のトークのご案内】
(東京・国立)
3/9(日)13時半からNHK学園くにたちオープンスクールにて講座「パレスチナのちいさないとなみ」をおこないます。今回の最新報告が内容の主となる予定です。帰国後最初の報告の機会になります。いままで明記や明言を避けていたことを、少しずつ言葉にできるように、精一杯努めます。


3/9 パレスチナのちいさないとなみ | 生涯学習オープンスクール | NHK学園 (n-gaku.jp)


(東京・中央区)
3/15(土)14時から東京都中央区男女平等センター「ブーケ21」にて『パレスチナの【家族】とわたし』と題された講演をおこないます。
こちらは3/9の国立での講座と内容は異なり、最新報告ではなく、これまでの話が中心となります。

中央区ホームページ/【国際女性デー関連企画】高橋美香さんスライドトーク「パレスチナの【家族】とわたし」を開催します (chuo.lg.jp)


仙台)
3/23(日)17時から仙台市のbookcafe火星の庭にて、『パレスチナで猫に出会う』スライドトークをおこないます。まだ内容については詰めておりませんが、ジェニン難民キャンプの一家のこれまでと今回の話が中心になるのではないかと思います。もちろん現在同店で開催中の同写真展『パレスチナで猫に出会う』の猫たちの話もからめての。

book cafe 火星の庭 (kaseinoniwa.com)

詳細は、それぞれのサイトをご覧ください。
お申し込みをお待ちしております。

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一昨日、70日間の旅を終えて帰国しました。

旅のあいだの日々のことは、思いつくままにその時々にTwitterにて綴っているので、過去にさかのぼって追って読んでみてください。

滞在当時には明言できなかったいくつものこと、「どこで」「誰が」「誰によって」などの具体的な事柄はできるだけ避けていました。特に、包囲されて攻撃が続けられていたジェニン難民キャンプでの日々のことは、誰にどんな悪影響が及ぶかわからず、判断ができなかったので、できるだけ明記を避けました。

今回、「ジェニン難民キャンプ以外の場所の友人知人のすべて」にジェニン難民キャンプに行くことを反対されました。説得できなかった友人には、内緒で向かいました。事後報告をして「わかってたよ。本気で心配だった。でも止めても無駄だということもわかってた。一応止めたからなという、自分を納得させるものがほしかったのかも」と友の言葉。「ミカは大バカヤローだ」という言葉とともに。でも無事に戻ると、みんな「無事でよかった」と強く抱きしめてくれました。でも、私には「安全な、帰る場所」がある。無事では済まなかった、多くの友のことを思います。

行く前に、ジェニン難民キャンプのマハとよくよく話し合いました。私が行くことで、一家に背負いきれないような種の迷惑がかかることだけは、絶対に避けたかったことでした。でもマハは「ミカにしっかり見てほしい。来てくれるというなら大歓迎だ。電気も水も断たれ、インフラも去年来てくれた時以上に破壊され、なにより包囲されて攻撃されているけれど、それでもいいなら大歓迎」と。

こうして、最終的にジェニンの街で会って、面と向かって話して最終確認をして、一緒にジェニン難民キャンプに向かいました。包囲された中でどうやって、などの話は、これから各地でおこなうトークの場などでお話します。

僅かにここに記すとすれば、包囲されて攻撃されて一日中銃声が続くなかでの「日常」は、困難だらけでした。一番辛かったのは、自由に外も歩けないこと。歩けなければ、写真も撮り歩けない。猫たちを撮り歩くことすらできませんでした。

常に恐怖でした。運が悪ければ、死ぬんだなと常に感じながらの日々でした。でも「ここで生活をしている」マハたちが、「ここで生活を続ける」と考えている限りは、それをしっかり見つめようと決めました。もしも「もうこれ以上はここでは生活を続けられない」と彼女たち一家が判断したときが、自分も一緒に逃げる時だと決めました。

そのあいだに、攻撃は激化し、隣の家の前が爆撃されて六人が一度に爆殺されるという最悪の夜も経験しました。この話も、まずはトークの場などで話すよう努めます。

そして、1月21日、とうとうイスラエル軍の大規模な軍事侵攻が始まった。「イスラエル軍による大規模な軍事侵攻が始まったら、そのときは逃げる」と、マハたちは常々言っていたので、とうとう「そのときがきた」と覚悟を決めました。

でも実際には、空からはアパッチヘリによる攻撃があり、背後では爆撃まであり、逃げようとする方向の前方から地上でも銃撃が始まる。実際にこの日多くの方が逃げる過程で撃たれて怪我を負わされました。無事に逃げられたのは、ただ単に「運が良かっただけ」に過ぎません。避難の過程の混乱も、みんなの混沌も、泣きながら「どこに行けばいいの?どこに行けっていうの?」とつぶやき続けたマハの姿を、一生忘れません。抱きしめることしかできなかった。

避難をすれば「終わり」ではありません。避難先での「日常」が続きます。それは、常に誰かの「厚意」にすがるしかない重い重い避難生活。「たとえ瓦礫であっても帰りたい」避難民の居候という立場にすぎない私ですら、毎日それを望みました。避難生活は本当に辛かった。直接攻撃を受けていた難民キャンプの日々以上に。

今日は猫の日。ずっと難民キャンプのマハの家のそばで暮らしていた、ムームーと名付けて愛した、悲しい疲れ切った顔をした小さな猫のことを思い続けています。案じ続けています。家に帰って、シロくんのつつがない日々の姿を愛しく思えば思うほど、あの地で生きていたムームーのことを痛切に思います。生きていてほしいです。でもそれは、もしかするとかえって残酷なことなのかも。答えはずっと出ません。ひとのいとなみの「消えた」、いや恣意的に消し去れらたあの地で、小さな野良猫さんが生き抜くことは難しいでしょう。こんな悲しい「物語」が、難民キャンプの猫の数だけ、ひとの数だけある。マハやその周囲の人々の姿を一例として語ることでしか、途方もない困難のなか私を受け入れてくれた彼女らに返せる恩はありません。

だから、頑張って少しずつ「言語化」していこうと思います。気持ちや目の前で起きたことを表す言葉が全然みつからなくて、ずっと悩み続けながら、それでも。

写真はムームー。

【トークのご案内】
3/9(日)13時半からNHK学園くにたちオープンスクールにて講座「ぱれすちなのちいさないとなみ」をおこないます。今回の最新報告が内容の主となる予定です。帰国後最初の報告の機会になります。いままで明記や明言を避けていたことを、少しずつ言葉にできるように、精一杯努めます。

足をお運びいただければ幸いです。

3/9 パレスチナのちいさないとなみ | 生涯学習オープンスクール | NHK学園 (n-gaku.jp)

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約二か月間の滞在を終えて某月某日帰国しました。

いやー、長かった、しんどかった。いつも「居候」として現地の生活にドップリ身を置くのは楽なことではないけれど、それにしても今回はとりわけしんどかった。

出口ナシ感が現地のみんなをトコトン苦しめていて、そのなかで、ときには数日おきに軍事侵攻にさらされながら、銃声や爆撃音のなかで眠ることもできなかった日々、仕事がなくお金がなく喜びや楽しみの少ない日々、10/7以降さらに締め付けが厳しくなった占領下で町から町への移動すら命がけ(少なくとも現地のひとはそう感じている)の日々、そんななかにトコトン身を置きながら、寝食をともにして、聴かせてもらい続けたみんなの胸のうち。

とてもここでは(ほんのさわりすら)書ききれないけれど、少しずつトークの場などでそんな日々のことを話していこうと思う。

まずは、国立から。
【一日講座】「パレスチナのちいさないとなみ」
日時:3月10日(日)13時半から15時半 
場所:NHK学園くにたちオープンスクール
受講料:2800円
要申込
詳細やお申し込みやお問い合わせは下記のサイトをご覧ください
パレスチナのちいさないとなみ | 生涯学習オープンスクール | NHK学園 (n-gaku.jp)

約ふた月の滞在期間中のほとんどの時間を過ごしたジェニン難民キャンプでは、昨夜もまた軍事侵攻があり(文字どおり数日おき)、車のなかにいたふたりがドローンによる爆撃で暗殺されました。その現場はマハの家(わたしの居候先)の数軒先、マハからは家の前から撮った炎上する車を映した映像が送られてきた。恐怖に震える声、家族のひとりがなかなか帰ってこない、電話をしても応答がない(いつものこととはいえ)、そんな不安が声を震わせる。滞在中、そんな彼女を何度抱きしめたことか。いま、わたしは遠く離れた場所から、呆然とそれを見ているだけに過ぎない。マハと一緒に恐怖に震えるよりも、よほど辛い。

今日は、アブーアリーの命日です。今回もアブーアリーの思い出を、みんなで語りまくってきた日々だった。マハの誕生日にアブーアリーが用意してくれたプレゼントの話、サリームの結婚式の日に実現するはずだった約束。

今回、どうしても「行かなくては」と思ったのは、一番は親友のアブーアリーを失ったサリームのことが心配だったから。そして、一刻も早くアブーアリーの墓参りをしたかったから。アブーアリーの思い出を、みんなで語り合える時間は、わずかな「救い」だった。日本でずっとひとりでこの虚しさと哀しみと喪失感に打ちひしがれているよりも、思い出を語れる相手がいるということに、わずかに救われた。

アブーアリーの墓参りには、一度目はカマールが付き添ってくれた。彼が眠るお墓の石と土に触れると、涙が止まらなくなった。太陽がギラギラ照っていた。そんななか、声をあげて泣いた。カマールは「ミカ、泣くな。喜んでやれ。ようやく安らぎを得られたのだから。生きているよりずっといい」と、2014年に同じようにハムザが殺されたことを知って泣くわたしにかけた言葉と同じ言葉をかけた。

十年だよ、十年たっても何も変わっていない。ひとり、また一人と親しかった人間が殺されていく。過酷な占領下の尊厳の得られない暮らしに耐えかねた青年たち、巻き添えをくう人びとが、ひとり、また一人と殺されていく。

そんな難民キャンプの現実などを、国立では「最新報告」としてお話しできたらなと思う。もちろん、『パレスチナのちいさないとなみ』登場人物の「その後」なども。

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【こちらもぜひあわせてご覧ください】

【録画視聴版】
LunchTrip パレスチナ西岸地区便 ~報道されない日常を見つめて~ 12月9日ビサンで開催したトークの録画視聴申込み用サイト、3/11まで視聴可能とのことです。詳細は申込ページをご覧ください。
【録画視聴版】LunchTrip パレスチナ西岸地区便 ~報道されない日常を見つめて~ | Peatix

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2023年1月写真絵本『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版)を刊行しました。
お近くの書店でのご注文をお待ちしております。

またパレスチナ・オリーブの皆川万葉さんとの共著『パレスチナのちいさないとなみ』もぜひ。


版元のかもがわ出版のページ

かもがわ出版|パレスチナに生きるふたり ママとマハ (kamogawa.co.jp)


かもがわ出版|パレスチナのちいさないとなみ (kamogawa.co.jp)

先月1月20日、新著『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版)が刊行された。
かもがわ出版|パレスチナに生きるふたり ママとマハ (kamogawa.co.jp)

本当は、この本についてじっくり紹介しなければならないけれど、今日の本題はそこじゃないので、話を先に進める。でも本のなかに出てくるひとのことなので、おいおいと。

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ジェニン難民キャンプの「弟」たちの幼なじみで親友のアブーアリーが、二週間ほど前にキャンプに侵攻してきたイスラエル軍の兵士に腹部を撃たれ、この二週間危篤状態で、今日亡くなった。

その一報を目にしたのは、ツイッターだった。そのまま貼りつけておこう。

ああ、手が震えて、文字もまともに打てません。確認が取れました。ジェニン難民キャンプで2週間前に腹部を撃たれて今日亡くなったのは、「弟」たちの幼馴染の親友アブーアリー(ムハンマド)だったことが。 https://t.co/ZYTvEXwA01

— 高橋美香 (@mikairvmest) February 23, 2023 " target="_blank" title="">http://

ツイートでも言及しているとおり、新著『ママとマハ』のなかにも、彼が写っている写真は二枚収めているし、前著『パレスチナのちいさないとなみ』には、丸々1ページアブーアリーの「仕事」を紹介したページもある。『それでもパレスチナに木を植える』では、一家の裏庭の家畜小屋づくりに際して、リーダーシップを取ってくれたのは、本職である彼だった。

アブーアリーとの思い出は、数限りなくある。なぜなら、弟たちの幼なじみの親友たちのなかで、わたしが一番親しかったのも、話をしたのも、一緒に時を過ごしたのも、信頼していたのも、好きだったのもアブーアリーだったから。物静かで、自分が損な役回りになろうとも、嫌がらずに引き受けて、コツコツと自分の役割をしっかり担うヤツだった。頼りになるヤツだった。

初めて出会ったころは、彼も弟たちと一緒に演劇をしていた、一緒に「盗まれた夢」の舞台に立っていた。そのころの写真を見返してみると、ああ、記憶の彼方にしまわれていた、アブーアリーと一緒に写った写真が出てきたよ。まだ彼が19歳のころの写真。(3/10と3/11の出版記念会のトークの際にはその写真をご紹介します)

「生まれた場所や時代が違っていたら、違う人生があっただろう」「ここでは、あまりに簡単にひとの命が奪われていくから」、『ママとマハ』のなかには、そんな言葉を綴った。

でもね、アブーアリーまでが殺されたいま、その言葉は、いったいどれほどの重みと実感を持って書かれたのだろうと、自分自身に問いかけざるを得ない。こんな風に、アブーアリーの死をみつめながら、この言葉を反芻する日が来るなんて、想像もできていなかった。誰の身に、こんなことが起きてもおかしくないとアタマではわかっているはずなのに、その日が来ると、ただ呆然としながら、手が震え、涙が止まらず、頭がガンガンしてきて、呼吸の仕方もわからなくなる。

あと何回こんな思いをすれば、終わりが来るのだろう。終わらせられるのだろう。それまでに、あと何人の死と、親しかったひとたちの苦しみを目にすれば終わるのだろう。

アブーアリー、もう二度と会えないなんて信じられないよ。あんなに一緒に笑ってたじゃん。ジェニンを離れる最後の日に「またね」って言ったじゃん。悔しすぎる。哀しすぎる。虚しすぎる。

穏やかで、包容力のカタマリみたいなヤツで、大好きだった。弟たちの幼なじみのなかで、一番大好きだった。すげーいいヤツだった。

どうかどうか、その魂が安らかならんことを。
(左・アブーアリー、右・「弟」のカマール)

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『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』出版記念スライドトーク

"ママとマハとミカ"
~『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』出版記念~

主催者(高山正樹)から。。
残された時間、徹底的に沖縄にこだわると決めたボクにとって、パレスチナは躓きの石です。この表現が適切かどうかは分かりませんが、ともかく世界には沖縄以外にもたくさん考えなければならないことがあるということを決して忘れないために、ボクは、ずっとパレスチナに向き合ってきた高橋美香という友人を、ことあるごとに引っ張りだしてイベントを企画してきました。

いわば「沖縄~パレスチナ~そして世界へ」、そんな大風呂敷を広げているわけですが、でも、今回皆様に聞いて知って頂きたいのは、パレスチナに生きる二人の女性が体験してきたこと、あたりまえですが、我々と変わらない人間の、個々の顔の見える小さな営みです。そうだからこそ、世界に繋がるのだということを信じて。

皆様のお越しを、心からお待ちしています。

会場:M.A.P.(狛江の小さな沖縄資料館)
日時:3月10日(金)19:00~
   3月11日(土)14:00~
参加費:本付き 3000円
    本無し 1500円
    リモート参加もOK(サイン本付きは送料込みで3200円)
    高校生以下 500円

会場定員各回15名
※今回は入場者を少数に限定しますので、会場参加ご希望の方は、必ずご予約のご連絡をお願いします。FBでの参加表明だけでは、ご予約にはなりませんので、よろしくお願いします。
ご予約は下記のサイトからお申し込みください。リモートでの参加ご希望の方もお申込みできます。PayPay、クレジット、コンビニ払いが可能です。
ご不明な点がございましたら、お気軽にお問合せ下さい。

お申し込み専用ページ
https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/023ngcjzvmw21.html

ご予約、お問合せ:03-3489-2246(M.A.P.エムエイピイ)


イベントの詳細はコチラ


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