
思えばたくさんの猫さんたちにパレスチナで出会ってきたものだと、写真を何度も何度も見返しながら何度も確認する。どうしてこんなにパレスチナの猫たちに心を奪われるのだろう。彼らの視点をかりて、私はなにをみつめ、伝えたいと思っているのだろう。自問自答が続く。
三月に仙台でのトークを終えてから、すっかり「パレスチナで自分が体験したことと向き合うこと」を避けてきた。トークのような場がなければ、いくらでも「避けよう」がある。向き合わなければ、書かなければ、考えなければ…ということから逃げてさえいれば、向き合わなくて済む。それらを「表現しよう」などと思いさえしなければ、いくらでも逃げられる。
胃が痛い、消化不良が続く、悪夢がひどい、不眠、歯ぎしりのし過ぎで毎朝奥歯が痛いなど、明らかな「不調」は、ジェニン難民キャンプへの滞在中からますますひどくなっていた。避難先でもそれは続き、帰国後もずっとひどいままだった。そして、私は仙台でのトークの後、今月に入ってから、明らかに「パレスチナと触れる」ことを減らした。症状は徐々におさまっていった。
ジェニン難民キャンプの居候先の一家と、軍事侵攻が激化してから攻撃下を避難して三か月が経過した。一家は、家に戻れないまま、自宅の様子を見に行くことすら許されないまま、避難先を転々としている。一家のような避難生活を強いられているひとたちは、ジェニン難民キャンプだけでも二万人にのぼるとされる。
ナクバで難民となって難民キャンプにたどり着いた世代から、三世代目、四世代目となる子孫が、いま再び、その難民キャンプの自宅を破壊され奪われ追われている。一般市民への集団懲罰に、空爆の連続のような「目に見えやすい」非道と違って、ほとんど非難の声もあがらない。こうして「なかったこと」のように、見過ごされ、避難民たちは苦難のなかに置き去りにされる。「ひとり、ふたりが殺されたって、見向きもされない」と、また言わせてしまう。
そんなことはおかしいよね、やめさせなきゃいけないよね。どうすれば、そんな声を聞いてもらえるのか、考えれば考えるほど私は追い込まれていった。あまりの「無力」さに。あまりの自分の声の「ちいささ」に。
だけど、わたしの大切なひとたちは、今日も避難先でしんどい一日を送っている。いつでも、離れたり逃げたりできる自分と違って、彼らにはそんな「自由」もない。
先日、ほんのわずかな時間、マハが電話をくれた。どうしたのかと思ったら、新たな避難先を見せてくれようとしたらしい。人生は続くのだと思い知らされる。
私自身も「向き合うことから逃げたい」気持ちよりも「向き合ってカタチにしたい」気持ちの方が勝ってきたので、ちょうどタイミングよく声をかけてくれたAさんの「導き」に背中を押されるように、書きたいことを書き始めた。
ビックリするほど、どんどんあふれるように文章が浮かんできて、一日目にして構想の三分の二、二日目にして全体の六分の一を残して書き進めた。もちろん、これが即「使える」ものになるわけではないが、ラフのラフくらいの出だしとしては上出来だ。
ああ、自分は書きたかったんだな、きちんと向き合いたかったんだなと気づかされた。そして、書くと言う作業をとおして真正面から向き合っても、胃は痛くもならず、悪夢もみなかった。少しずつ、進めていこう。どんなカタチとして、なにが出来上がるかは、もう少し先のお楽しみに。
写真は、ナーブルスの街かどで出会った猫さん。まなざしが印象的だった。
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全国各地を巡回中の、D4P企画の安田菜津紀さんとの写真展「パレスチナの猫」が、再び東京に帰ってきます。5/7~27神保町ブックハウスカフェにて開催されます。また5/15(木)18時からは同店二階にて安田菜津紀さんとのトーク「写真でつたえるパレスチナのいとなみ」が開催されます。オンライン配信もあります。
皆様のご参加をお待ちしております。
詳細は
「写真で伝えるパレスチナのいとなみ」 高橋美香&安田菜津紀トークイベント | 株式会社 ブックハウスカフェ | 神保町唯一のこどもの本専門店 & カフェ (bookhousecafe.jp)
